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ナターシャ M.ケリー(元キリスト教徒・アメリカ合衆国)(パート2/ 2)

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説明: 文献を読み、様々なムスリムの少女たちと信仰について議論した後、ナターシャは15歳でイスラームを受け入れる。

  • より ナターシャM.ケリー
  • 掲載日時 06 Dec 2009
  • 編集日時 21 Oct 2010
  • プリント数: 316
  • 観覧数: 10318 (日平均: 3)
  • 評価: まだ評価されていません
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  • コメント日時: 0

私の人生において、持っていた小さな信仰を無にしてしまうような事件が起きました。私の探求は終焉を迎えました。私はもはや自分自身、聖書、または教会を研究しませんでした。私はしばらくの間、諦めていました。ある日、友人がある一冊の本をくれるまで、私はとても辛らつな人間でした。その本は“ムスリム‐キリスト教徒の対話”というものでした。

私はその本を手に取り、読みました。恥ずかしいことですが、私は自分の探求の間、一度も他の宗教を考慮しませんでした。キリスト教が私の知っていた全てでしたし、それを棄てようとは思いませんでした。私のイスラームに関する知識は、大変少ないものでした。実際、それは主に勘違いと固定観念で占められていました。その本は私を驚かせました。純粋に、神がいると信じているのが自分だけではないことを知りました。私はもっと多くの本を頼みました。私はそれらと共に、いくつかのパンフレットも受け取りました。

私はイスラームについて、知的側面から学びました。私にはムスリムである親友がいて、しばしば彼女にその実践について質問しました。私がイスラームを自分の信仰として考えたことは一度もありませんでした。イスラームに関する多くのことが、私には異質でした。

数ヶ月の読書の後、ラマダーン月が始まりました。毎週金曜日、断食とクルアーンの読誦のために、私は地域のムスリムの集まりに参加することが出来ました。私はムスリムの少女たちを質問で当惑させました。私は、どのようにして人が彼らの信じ、従っていることにそれほどの確信をもてるのか、畏敬の念さえ抱きました。私は自分自身が、自分にとっては異質であるその宗教に引き込まれているのを感じました。

私は長い間自分が孤独であると信じてきたので、イスラームは私を色んな意味で心地よくしました。イスラームは世界への訓戒としてもたらされました。それは人々を正しい道へ戻すためにもたらされたのです。

しかし信仰だけが私にとって大事なことであったのではありません。私は、自分の人生を形づくる規律を求めていたのです。私はただ誰かが自分の救世主であり、これを通して自分が天国行きのチケットを得ることだけを望んでいたのではありませんでした。私は、どう行動すれば神の承認が得られるのかを知りたかったのです。私は神との親密さを欲していました。私は神を自覚したかったのです。そしてとりわけ、天国へのチャンスが欲しかったのです。キリスト教は私にこれを与えてはくれませんでしたが、イスラームはそうではないことを感じ始めていました。

私は更に学び続けました。私はイードの祝祭(ラマダーンとハッジの儀式に次ぐ祝日)と金曜礼拝に行き、友人と共に毎週の勉強会にも出席しました。

宗教を通し、人は心の平穏を得ます。それらに関する平穏。私はこれを3年ほど断続的に感じていました。そしてこれが途切れている間には、私はサタンの誘惑に対してより敏感になりました。1997年の2月初旬、私はイスラームが正しく真実であると気付き始めました。しかし私はどんな性急な決定もしたくはなかったので、待つことに決めました。

この間、サタンの誘惑は増しました。私は彼が出てきた2つの夢を思い出すことが出来ます。サタンは私を呼んでいました。私はこれらの悪夢から覚めた後、イスラームに慰めを見出しました。私は自分がシャハーダ(イスラームの信仰告白)を繰り返していることに気付きました。これらの夢は、私の考えを変えかけました。私はそのことを私のムスリムの友人に打ち明けました。彼女は、サタンが私を真実から引き離そうとしているのかも知れないと言いました。私はそんな風には思いもしませんでした。

1997年319日、毎週の授業から帰った後、私はシャハーダを自分自身で唱えました。それから326日、私はそれを証人の前で唱え、正式にムスリムになりました。

私は、自分の感じた喜びを表すことが出来ません。私の肩からおりた重荷を表現することも出来ません。私はついに平穏な心を得たのです。

それは私がシャハーダをしてから5ヶ月ほどたった頃でした。イスラームは、私をよい人間にしました。私は今強くなり、そして物事を理解するようになりました。私の人生は著しく変化しました。私は今目的を持っています。私の目的は、私自身が天国での永遠の生活に価することを証明することです。私は念願だった信仰を持っています。宗教はいつも私の一部です。私は毎日、よいムスリムになるために奮闘しています。

人々は15歳の子供がどうやって人生におけるそのように重要な決定をしたのか、しばしば驚きます。私は、それをこれほど若くして見つけることのできた私の精神状態を神が祝福されたことに感謝しています。

キリスト教が支配する社会で、よいムスリムとして奮闘することは大変です。そしてキリスト教徒の家族と暮らすことは更に難しいことです。しかしながら、私は落胆しないようにしています。私は現在の自分の苦境にくよくよしたくはないですし、私のジハードは純粋に私を強くしていると信じています。ある人はかつて私に、神の偉大さと慈悲を発見し、経験し、そして気付いたことは、ムスリムとして生まれたある種の人々よりもずっとよいと言いました。こうして私は、地上での70年の生活は天国での永遠の暮らしと比べれば、何でもないという論理を得たのです。

私は神の偉大さとご慈悲、そして栄光を表現する才能に欠けていることを認めなければなりません。私の記述が、私と同じように感じ、苦しむ他の人々の役に立てばと思います。

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