キャット・スティーブンス(元人気歌手・イギリス)(パート2 / 2)
説明: 70年代の最も有名なミュージシャンの一人による真実への探求パート2:クルアーンとイスラームの受容。
- より キャット・スティーブン?
- 掲載日時 05 Dec 2009
- 編集日時 05 Dec 2009
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クルアーン
彼はロンドンへ戻った時、クルアーンの翻訳を持ち帰ってきて、それを私にくれました。彼はムスリムにこそなりませんでしたが、この宗教に何かを感じていて、それで私もそこに何かを感じるのではないかと思ったのでした。
そして本を受取った時、導きが全て−私は誰なのか?人生の目的は何なのか?何が真実で、真実となるのか?私はどこから来たのか?−を説明しました。私はこれが真の宗教であると認識しました。西洋の感覚で理解される宗教ではなく、老人だけのものでもない宗教。西洋では誰でも、何らかの宗教に改宗しそれを自分の生き方にしたいとする者は狂信的だと考えられます。しかし私は狂信的ではありませんでした。私は以前、肉体と魂との間で混乱していました。しかし今や私は肉体と精神はかけ離れたものではなく、宗教的になるために山へ行かなくてもいいのだということに気づいたのです。私たちは神のご意思に従わなければなりません。そうすれば天使よりも高い位階に達することが出来るのです。まず私はムスリムになりたいと思いました。私は全てが神に属し、かれは休止もしないことに気付きました。かれは全てを創造されたのです。以前私は、自分がここに存在している理由は自分自身の偉大さゆえであるという考えていましたが、この時自分の中にあるプライドを失い始めました。私は私が自分自身を創造したのでもなく、私がここにいる全ての目的はイスラームとして知られている宗教によって完全化された教えに従うことであると気づいたのです。この時、私は自分の信仰を発見し始めました。私は自分がムスリムであると感じました。またクルアーンを読んでみて、全ての預言者が同じメッセージを携えて神により遣わされたことを知りました。またなぜ、ユダヤ教徒とキリスト教徒は違うのか?私はどうしてユダヤ教徒がイエスを救世主として受け入れず、彼の言葉を変えてしまったのか分かりました。キリスト教でさえ、神の言葉を誤解し、イエスを神の息子であると言ったのです。全ては理屈に適いました。これがクルアーンの美しさです;それはあなたが熟慮や思考を促し、月や太陽ではなく、それら全てを創造されたお方を信仰するように命じています。一般にクルアーンは、人に太陽と月と神の創造物を熟考するよう命じています。月と太陽がどのくらい違うかお気付きですか?それらは地球からそれぞれ異なった距離に位置していますが、しかしいつも同じ位の大きさで見えるのです;そしてある時は一方が他方を覆うように見えることもあります。
多くの宇宙飛行士が宇宙へ行った時でさえ、彼らは宇宙の膨大な広さにおけるちっぽけな地球を見るのです。そして彼らは神のしるしを見た後に、大変宗教的になるのです。
クルアーンを更に読むと、礼拝や親切、施しについて述べられていました。私はまだムスリムではありませんでしたが、クルアーンが私のたった一つの答えであると感じ、神がこれを送って下さったのだとしてそれを秘密にしていました。しかし、クルアーンはまた違った段階のことを述べています。私はクルアーンの“信じる者は不信心を友に持たず、信者同士は兄弟である”というくだりで、違う段階としてのクルアーンを理解し始めました。そしてこの時、ムスリム同胞に会いたいと思うようになったのです。
改宗
そして私は(私の兄弟がそうしたように)エルサレムへの旅を決めました。エルサレムで私はモスクに行き、その中に座りました。するとある男性が私に、何がしたいのかと尋ねてきました。私は彼に、自分はムスリムであると言いました。彼は私の名前を尋ねました。私は彼に“スティーブンスだ”と言いました。彼は混乱しました。それから私は礼拝に参加しましたが、余り上手く出来ませんでした。それから私はロンドンに戻り、ナフィーサという姉妹に出会いました。イスラームに改宗したいという旨を伝えると、彼女は私をニューレジェンド・モスクへ案内してくれました。これは私がクルアーンを受け取って1年半後の、1997年のことでした。この時私は、自分のプライドを捨て、サタンを捨て、一つの方向へ行かなければならないと認識しました。そしてある金曜日の合同礼拝の後、私はイマーム(礼拝のリーダー)の元へゆき、彼のもとで信仰告白(シャハーダ)をしました。私は以前名声と富を築きはしましたが、いかに努力してもクルアーンを見せられるまでは導きを手にすることは出来ませんでした。今私はキリスト教や他の宗教と違い、神と直接接触できます。あるヒンズー教徒の女性は“あなたはヒンズー教を理解していません。私たちは唯一神を信じていますが、ただ偶像をそこにおいて集中するために使っているだけなのです。”つまり彼女が言うことには、神に近付くためには何かその共同者を設けなければならず、偶像の目的は実にそのためだったというのです。しかしイスラームはこれら全ての障壁を取り除いてくれます。不信心者を信仰者のしてくれるものは、サラー(礼拝)しかありません。これこそが浄化の過程なのです。
最後に、私が行う全てのことが神のご満悦のためとなり、読者の皆様方が私の経験から何らかのひらめきを感じて頂けることを祈ります。また私は、私がイスラームに改宗するまでムスリムと接触がなかったということを強調したいと思います。私はクルアーンを読み、完全な人間などいないことに気付きました。しかしイスラームこそは完全で、預言者の行いを踏襲することによって私たちは成功するのです。
神がムハンマドの共同体への道に私たちを導いて下さいますように。アーミーン!
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