なぜムスリムは断食するのか?(パート1 /2)
説明: 断食は全ての宗教において規定されていること。また断食の状態やその異なった段階。
- より Dr.ビラール・フィリップス
- 掲載日時 26 Jul 2010
- 編集日時 07 Mar 2022
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減量に励んだことのある私たちの多くは、果物や水、砂糖の減食など、ある種の断食を経験したことがあるでしょう。しかし多くの人々が非常に奇妙で興味深く思うのは、ある国家全体の人々−男性も女性も、老いも若きも、金持ちも貧乏も−が明け方から日没まで完全に、食べ物と飲み物なしで丸一か月―ラマダーン月−を過ごすことでしょう。時には勤務時間の短縮をも伴う、ラマダーン月の重要性とは何でしょうか?それは大変厳しいものではないでしょうか?またそれはただ単にムスリムが日中に眠りながら断食しつつ少しだけ働き、そして一晩中起きて食べ、飲み、楽しむ時のことでしょうか?ラマダーン月の精神とは本当は何でしょうか?
全ての宗教における断食の規定
英語において“断食”とは神聖な日のしきたりとして、また悲しみ、悲嘆、悔恨の象徴として、食べ物またはある種の食べ物を自発的に断つという意味です。これは世界のほとんどの主な宗教に見られます。例えばヒンズー教では、断食をサンスクリット語でウパバーサと呼びます。熱心なヒンズー教徒は特別な時に、彼らの個人的な神々への敬意のしるし、または彼らの苦行の一つとして断食を行います。また多くの熱心なインド人はしばしば断食を、祭りなどの特別な時に行います。そのような日に彼らは、全く食事をしなかったり、あるいは1度だけ果物やシンプルな特別食をとったりします。またユダヤ教徒たちにとって、ヨムキプール(「贖罪の日」)は悔恨の10日間の最後でティシュリ月の10日目に行われます。その日は食べること、飲むこと、洗うこと、皮を着ることまたは性的関係を持つことなどが禁止されます。更には安息日のように、労働も禁止されます。また、モーセ(彼に平安あれ)が断食したことも、旧約聖書には記されています。
“モーセはそこに、四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。(出エジプト記34:28)
キリスト教徒のカトリックに関しては四旬節が断食の主な時期で、それはイエス(彼に平安あれ)の40日の断食に倣ったものです。また紀元4世紀にはイースター、あるいは聖週間前の6週間に渡って断食が行われていたものでした。そして7世紀においては、大方の地域で40日間の実質的な断食が適用されました。またイエス(彼に平安あれ)は福音書において、モーゼのように断食したことが記録されています。
“そして彼は40日と40夜断食し、それゆえ彼は空腹だった。” (マタイ4:2 & ルーク 4:2)
そしてクルアーンの次の節は、実にこの件に関して述べられています:
“ 信仰する者たちよ、お前たちには斎戒(断食)が書き定められた、ちょうどお前たち以前の者に課されたように。きっとお前たちは畏れ身を守ろう。”(クルアーン2:183)
最も徳の高い行いの一つ
多くの宗教において断食は罪の償い、または罪滅ぼしのためとされますが、イスラームではまず上記の節に述べられた通り、神に近付くために行われます。そして神を意識することは有徳において欠かさざるを得ないものですから、イスラームでは断食に大変な重要性が置かれています。ゆえに以下のように、預言者ムハンマド(神のご慈悲とご加護がありますように)が尋ねられた時の答えを知ることは驚くべきことではありません。
“何が最善の行いですか?”彼は答えました:“断食に相当するものはありません。” (アン=ナサーイーの伝承)
一方で、人間に様々な個性があるように、断食にも様々な段階があります。そもそも正しい断食は神によって意図された効果があるゆえ、人間の存在のあらゆる側面を網羅するべきものです。以下は断食のいくつかの主な段階です。
断食の段階
儀礼的段階
断食のこの段階では毎年、夜明けから日没まで29日または30日間食べ物、飲み物、性交渉を避けるという断食の基本的ルールが満たされていなければなりません。この段階では、基本的には断食の精神は特に考慮されておらず、文字通り法に従って断食するだけです。これは断食がイスラーム的に正確であるために満たすべき最初の段階ですが、断食をしている人に本当の効果を与えるためには、別の段階が断食に付け加えられなければなりません。そしてもし、人が単なる習慣によるのではなく、神の命令に対する服従の見地から宗教儀礼を意識して断食を行うのでなければ、この段階に留まった断食には精神的利益はありません。それゆえこのような儀礼的段階における断食によっては、罪の購いまたは罪を浄化するという効果を得ることはありません。
肉体的段階
断食における“肉体的”段階では、預言者の「スンナ」に従った断食を行うにあたり、断食する者に飢えと渇きの苦痛を経験させます。預言者ムハンマドは胃をそれでもって完全に満たすことを回避しつつ、夜明け前に軽い食事(スフール)と、日没時に断食を解く適切な食事(イフタール)を摂りました。彼がこのように言ったことが報告されています。
“人間の満たすことの出来る一番悪い入れ物は、彼の胃です。人の背筋をまっすぐに保つためには少量の食事で十分です。しかしながら、もし彼の欲望が彼にうち勝つのなら、胃の容量の三割を食べ物に、そして別の三割を飲み物に、そして残りの三割は息をするために残しておきなさい。” (イブン・マージャによる伝承)
預言者は日没の礼拝が始まる前に数個の新鮮な、または乾燥したナツメヤシの実と、一杯の水で断食を解かれました。この段階は断食している人に飢えや乾きの苦しみを経験することを助け、そしてそこから世界中の飢えや乾きに苦しむ人々への同情心が養われるのです。
医学的利益
肉体的段階においては、断食によって神経伝達物質と呼ばれる脳の感情を作り伝達するある物質が刺激されます。断食は満足感や幸福感と関係している鎮痛効果のある神経物質伝達システムを促進し、より多くの鎮痛物質を作り出すため、事実私たちを良い“気分”にさせるのです。これは運動(肉体的動作は伴ってはいませんが)の効果と似ています。また医学専門家によって、断食はあらゆる面で肉体的健康を改善すると言われて来ました。例えば断食中において肉体は、血液循環系や体の脂肪の多い部位にしばしば蓄えられるコレステロール(脂肪)を消費させます。こうして引き締まった体を保ち、心臓発作の危険を最小限にする助けを担うのです。一番目の儀礼的段階と二番目の肉体的段階の違いの一つとして、儀礼的断食のみを行っている人は、断食を始める前と断食を終えてすぐに沢山の食事を摂取するということが挙げられます。こうして彼は一か月の間を通し、飢えや乾きを感じることがないのです。しかしながら、もし断食をする者が断食の他の段階を合わせて行わなければ、断食は単に肉体的疲労となるだけでしょう。預言者はこう言われました:
“断食をしている者は、その断食から飢えと渇き以外何も得ないかもしれません。”(イブン・マージャの伝承)
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