動物の権利に対する誤解:不浄な動物への虐待

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説明: イスラームは豚や犬への虐待を推奨したりはしません。

  • より アーイシャ・ステイシー
  • 掲載日時 27 Apr 2015
  • 編集日時 27 Apr 2015
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Misconceptions_about_Animals_Rights_001.jpgイスラームは慈悲の概念に特化した宗教です。イスラームはお互いに、全人類に、動物に、さらには環境に対しても慈悲深くあるよう推奨します。神こそは最も慈悲深き御方であり、あらゆる慈悲は神に由来するものです。預言者ムハンマドが神の慈悲の特質について説明した際、彼は子供に慈悲を見せる動物の母親の隠喩を用いました

“われは只万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。”(クルアーン21:107)

イスラームはまた、権利の授与と確保にも配慮します。クルアーン、そして預言者ムハンマドにまつわる真正の伝承集において提示されている神の法であるシャリーアは、権利の保護を訴えます。人間は権利と責任の双方を持ち合わせており、責任の一つには、動物の持つ「安全」と「親切な処遇」への権利を確保させることが含まれています。私たちは神の御前において、動物の権利が尊重され、履行されていることを確実にする責任を負っています。動物虐待は重大な罪であり、厳格な懲罰の対象となり得るのです。

“ある女は、餓死するまで猫を幽閉したため、拷問を受け地獄に入れられた。”預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)はこう述べています:“彼女はその猫が幽閉されていたときに飲食をさせなかったばかりか、解放して地面の昆虫を食べさせようともしなかったのだ。”

神が特定の動物――具体的には犬と豚――を不浄としたのは事実です。ただし、そのことは虐待を許すことにはなりません。不浄さが示すこととは、ただ単にしかるべき対策が取られるべきであり、それらの動物と接する際に特定の規定に従われなければならないということです。犬を含む動物への愛護には、大きな報奨がもたらされます。それは、動物への虐待が地獄につながることと同様なのです。

預言者(神の慈悲と祝福あれ)は言いました。「ある男が歩いていたとき、喉が渇いたので井戸に降りて行き水を飲んだ。登ってくると、渇きのあまり喘ぎながら泥を食べていた犬を見つけた。男は言った。『この犬は私と同じ災難に見舞われている。』それで男は井戸を降り、靴を水で満たし、それを歯でくわえつつ井戸を登り、犬にそれを与えた。神は彼の(善き)行いに感謝し、彼の罪を赦したのだ。」人々は尋ねました。「神の使徒よ!動物へ奉仕することに報奨はあるのですか?」彼は答えました。「そうだ。あらゆる生き物への奉仕には報奨があるのだ。

神は豚肉が不浄であるということ、そして犬が不浄な動物であることを申し分なく明確にしました。そのことに神の英知が潜んでいることには疑いありません。ただし、ムスリムは神の命令の理由を知る必要性を感じることなくすすんでそれに従います。さらに神は、信仰者とは主の言葉を聞けば、それに従う者のことを言うのだと明白に述べています。

“本当の信者たちは、裁きのため、アッラーと使徒に呼び出されると、「畏まりました。従います。」と言う。本当に、そのような人々こそ栄える者である。”(クルアーン24:51)

神により定められた規定を聞き入れて従うことは、いかなる生き物に対しても残酷にできる免許であると解釈することもできません。豚肉には病原菌が潜んでいたり、野犬の群れは病気を感染させたりと、豚と犬が人間にとって有害となるものの、それらに対する虐待への正当化はできないのです。

預言者ムハンマドはマディーナの犬の群れを殺処分にすることを命じましたが、その理由としては当時は犬の間に狂犬病が広く感染していたからです。よく知られているように、狂犬病は深刻かつ致命的な伝染病であり、人間に感染すれば発作を引き起こし、やがて死に至らしめます。当時は感染した犬たちに対する動物シェルターやワクチン注射などがなかったため、人を危害から守るためには犬を殺処分にするより方法はありませんでした。

“(預言者ムハンマドの教友の一人である)私の父は言いました。「神の使徒の生前、モスクの中では犬が放尿したり、通り過ぎたりしていたものでした。”」

動物は人間によって慈悲と愛護の精神をもって接される権利を持つことをイスラームは明確にしますが、動物が人間の利益のために創造されたものであることを忘れてはなりません。私たちが動物を虐待したり、それらの許容範囲を超えた労働をさせたりすることは許されていません。また、動物の生命を人間の生命と同等あるいはそれ以上のものとすることも認められません。それゆえ、必要であれば特定の動物を屠殺し、食することができるのです。また医学の発展のために動物を使うことは許されています。ただし、どちらの場合においても残虐行為は禁じられています。

人間が合法的な必要性を満たすために動物を使うことは許されてはいますが、低俗な欲望を満たすためではあればそれは許されません。信仰者は、口にする肉が人道的な方法で屠殺されたものであることを確かめなければなりません。

預言者ムハンマド逝去後の2代目の指導者であるウマル・ブン・アル=ハッターブは、屠殺用のヤギの両足を掴んで引きずっている人物を見かけると、彼に対してこう言いました。「あなたが破滅に見舞われますように。それを適切な方法で屠殺しなさい。」ウマルは人々に対し、動物たちが過酷または不親切な処遇をされるべきではないことを告げ知らせました。彼は動物たちへの懸念を表明し、それについて神からお咎めを受けることを怖れたのです。彼はこう述べました。「ユーフラテスの渓谷でラクダがつまづいたのなら、それについて神に問われることを私は怖れる。」

人類が地球上にもたらされたのは、神の被造物における後見者とされたからです。動物に対して親切・慈悲心をもって接することは、そうした後見の役割という責任のうちの一つです。一部の動物の不浄性は、それらの持つ苦痛や苦難からは無縁に生きる権利とは関係のないものです。



脚注:

サヒーフ・ムスリム

サヒーフ・ブハーリー

イスラームにおいて豚肉が禁じられている理由に関しては、次の記事をご参照下さい。(http://www.islamreligion.com/jp/articles/2513/viewall/)

サヒーフ・ムスリム

サヒーフ・ブハーリー

Dr. Mustafa Al-Sabai. Some Glittering Aspects of Islamic Civilization, Sharif Ahmad Khan, trans. (Delhi: Hindustan Publication, 1983) p. 138

Sheik Muhammed Karakkunnu, Farooq Umar (Malayalam), Calicut,India: IPH, 1984) p. 516.

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