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イーマーン・ユースフ 米国出身の元カトリック信者(2/4)

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説明: 慈悲深き神を通して真理に到達すること。

  • より イーマーン・ユースフ
  • 掲載日時 06 Jul 2015
  • 編集日時 05 Jul 2015
  • プリント数: 12
  • 観覧数: 3653 (日平均: 3)
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  • コメント日時: 0

さらに、私は神の道があらゆる時代のあらゆる人々のためのものでなければならないはずだと推論しました。誰一人として特別だったり、選ばれたりしてはおらず、また誰一人として除外されてはならないはずです。それは現在生きている人々、すでに亡くなった人々、これから生まれてくる人々も同様です。

私は、その教えが人類の創造と共に人々の間に知られたものでなければ、慈悲深き神というものを信じることができませんでした。アダムの創造以来、そこには何らかの「秘密」が存在しているはずだとなんとなく思っていました。それは、私がそれまで得ることのできなかった、あらゆる物事の「鍵」なのです。

私の家族にはいくつかの問題がありました。弟はアルコール中毒でした。彼は精神的に不安定で、癇癪持ちでした。しかし、母はいかなる時も彼の肩だけを持ちました。私はノイローゼになっていました。勉学にも集中できなくなり、私は大学を中退せざるを得ませんでした。

娘を保育所に預けたままクラスに出席しなければならないことも心配の種でした。私は彼女に最大限の愛情を注ぎたいと願っていました。祖父は日に日に弱っていっており、母が仕事に行っていたある朝などは、葉巻を椅子のクッションに落とし、ボヤ騒ぎを起こした程でした。

家の火災警報機が鳴り響いた時は、まさに寝耳に水でした。煙が充満していたにも関わらず私は深い眠りについており、私をようやく眠りから目覚めさせたのは、子供部屋からの娘の叫び声でした。

目を覚ますと、家中に煙が広まっていました。私はベビーベッドから娘を抱き上げ、家から脱出しました。その時には消防車が到着していましたが、弟は既に火のくすぶる椅子を庭に運び出していました。

弟はまず、椅子の前に座り込んで定規で椅子の火をかき消そうとしていた祖父を傍らにやらなければならなかったそうです。祖父はもう私たちだけの力では介護できない状態になっていました。

これをきっかけに、母は祖父を老人ホームに入居させることを真剣に検討し始めました。その後、私は彼を介護する必要がなくなりました。しかし私は自立しなければならないことを母にはっきりと告げられました。私と娘は彼女の人生に必要なかったのです。

弟はいつものように外で飲酒に浸り、祖父の心配をする必要のなくなった母は、男友達と一緒に過ごす時間を得て、「自分の思い通りの人生を歩むことができるようになった」のです。

私は酷い状態に陥りました。夫とは離婚協議の最中でしたし、依然として婚姻状態にはあったため福祉による給付金を受け取ることもできませんでした。何らかの援助を申請したとしても、まずは夫による養育費を求めるよう促されるだけで、彼からは一銭も受け取ったことはありませんでした。

彼は娘の養育権のために法廷で争うと私を脅迫しました。彼の背後には愛人がおり、彼女がそれをけしかけていたのです。私には仕事抜きに生活していける術はありませんでした。そのためには、娘を保育所に預ける必要がありました。

孤独感、そして問題解決の糸口を見つけられなかった私は苦悩していました。私は周りの狂気の中のただ一人の正気な人間であるように思えてきて、時にはそれさえも疑問でした。

私はひどい居心地の悪さを感じていました。祖母が亡くなった後、私は家族の中で居場所をなくしてしまい、完全に追い出されつつありました。絶望した私は再び神にすがり、問題に対する答えを嘆願していました。

ある日、私は独りで家にいました。娘は彼女の父親と出かけており、母と弟も外出中でした。寝室の静寂の中、祈りに対する強い衝動を感じました。ただ、その方法は全く知らなかったため、部屋の真ん中でどうすればよいのかさえも分からず突っ立っていました。

私はあたかも礼拝の方法についての導きを求めて耳を傾けるかのように立ち尽くしていました。神と会話するには清浄な状態でなければならないはずだとひらめきました。まるで何らかの上の存在の力に乗っ取られたかのように、私は浴室でシャワーを浴び、頭から足の指先まで洗いました。

部屋に戻り、再び何か−−あるいは何者か−−が次に何をすれば良いのかを告げてくれるのを待ちました。私は再度、答えに導かれました。自分自身を覆うことの必要性を感じたのです。

くるぶしまで被さる長いガウンをまとうだけでは事足りず、髪の毛も覆う必要性を感じました。長いスカーフを頭に巻いて鏡を覗き込んでみると、自分の姿に奇妙な安心感を覚えました。私はムスリムに会ったことがなく、彼らがどのような格好をしているのかも全く知りませんでしたが、そこにいる私はヒジャーブをまとっていたのです。

イスラームを知る人が私を見たら、礼拝の準備をしているムスリムだと思ったことでしょう。しかし、当時の私はイスラームについては一切知りませんでした。神にこそすべての称賛あれ。

お祈りのために着替えたものの、何をすれば良いのかまだ全然分かりませんでした。窓際に行き、晴れ渡った外を呆然と眺めていました。次はどうしよう? ひざまずくことには、教会で同じことをしていたため抵抗がありました。

私は神の御前において謙虚になる必要を感じました。自分が創造主に対して完全に服従する姿勢を取りたいと思いました。そのときは、床に横たわることしか思い浮かびませんでした。

再度、教会で牧師や修道女が修道生活で床に横たわり、両腕を横に伸ばして十字架の形を作っている場面が脳裏に浮かびました。創造主の前にて謙虚でいたいと思ったものの、それをどうすれば良いのか全く分かりませんでした。

するとひざまずいて、顔を床に着けることを思いつきました。そうする前に、寝室が散らかっていたという訳ではありませんでしたが、床が汚れていると感じた私は、確実に清浄なものに額づく必要性を感じました。

娘のベビーベッドの横に、私が編んだ彼女のベビーカー用の小さな毛布がありました。後日、それはイスラームで礼拝用として使用される絨毯と全く同じ大きさであることに気付きました。そしてそれはちょうど洗濯した直後でした。それで私はそれを手に取り、私の前に敷いたのです。

さらに信じ難いことに、私が向いていた方向はムスリムたちが礼拝時に向く方向である「カアバ」であることも後日知ったのです。私はひざまずき、両手で上半身を支えつつ、顔を床につけました。

その日を思い出すだけで、目には涙が浮かび、鳥肌が立ちます。あの部屋、あの姿勢で、私は明らかにムスリムのような身なりと礼拝をしていたのです。スブハーナッラー(アッラーに称賛あれ)、そのような方法でお導き下さった神のいかに慈悲深いことか!

あの姿勢で、ついに神と通じ合えたことを感じた私は、何度も何度も涙ながらに神が私に求める信仰を示してくださるよう嘆願したのです。神が私にお望みの人生というものを・・・。

涙が止まりませんでした。その日、私は真理を見出したと感じました。ただ、空白を埋める必要だけが残されていました。そして慈悲深き主によるお導きのおかげで、やがて私は答えを見つけ出したのです。

母が依然として祖父の老人ホームへの転居を考えており、私も引っ越しを要求されていたとき、感謝祭の時期が訪れました。まだ私が実家にいた頃です。

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