ラドコ チェコ出身の元無神論者(前半):無神論からキリスト教へ

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説明: ある筋金入りの無神論者がキリスト教に興味を持ちますが、重要な疑問に対する答えを見いだすことが出来ません。

  • より ラドコ
  • 掲載日時 09 Jun 2014
  • 編集日時 09 Jun 2014
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Radko__Ex-Atheist__Czech_(part_1_of_2)_-_Atheism_to_Christianity_001.jpg私は以前、神の存在など決して信じたりはしない、という無神論者を知っていました。彼は、信仰者というのは気質の弱い人々で、その無能さと無気力さから教会へ行かなければならない必要性を感じているような人々であるという意見を持つ人物でした。宗教について議論する際、相手を説得出来なければ、彼は憤慨しました。彼は信仰者たちを軽蔑していましたが、それは殆どヒステリーに近いものでした。ところが、彼には信仰者の親友がおり、一緒にいるときは宗教議論をしないことで合意していました。

ある日この男性は、珍しく友人の誘いに応えて教会に行くことにしました。そのとき彼は何らかの理由で気弱になっていたのかも知れません。彼は、ミサの最中に笑い出し、説教壇から信仰者たちを指さし嘲笑するような自分の姿を思い描いていました。しかしながら、私たちも知るように、神の御業とは不思議なものです。彼は教会へ行き、後方のベンチから、祈りを捧げる人々を凝視していました。

ミサが始まると、彼は人々に皮肉な視線を浴びせていました。そしておよそ15分間の説教が始まりました。すると説教の途中に突然、彼の目からは涙が流れだしたのです。喜びと幸福感の混じり合った奇妙な感情が、彼の身体全体から満ち溢れていた敵愾心を洗い流しました。ミサの後、友人の二人は一緒に帰路に着きました。彼らは分かれる寸前まで沈黙を保っていましたが、無神論者の男性は、また一緒に教会に行けるかと友人に問いました。そして友人は翌日、また教会に行くことにしました。

その無神論者の男性が、この私自身であるということにお気付きになった読者もいるかも知れません。過去の私は信仰を持つ人々に対し、軽蔑と悪意しか感じてはいませんでした。しかし、自分が偏見を持たれたくなければ他人に偏見を持ってはならないと牧師が説いた、1989年のあの説教の後、私の人生は劇的な変化を遂げました。

私は定期的に教会の集会に出席するようになり、神とイエス・キリストについての知識を渇望するようになりました。また、クリスチャンの若者たちとの会合にも顔を出すようになり、精神的体験について話し合ったりもしました。私は復活したかのような気分でした。私は信仰者の人々との触れ合いを必要とするようになり、過去18年間の空白を取り戻そうとしていました。

私は、キリスト教の洗礼を除き、精神的発達についての導きを与えることのなかった無神論者の家庭で育ちました。6年生の頃、学校に共産党員がやってきて、なぜ神は存在しないのかについての説明を受けた記憶があります。私はその言葉をすべて吸収していたのを覚えています。私の場合、納得する必要はありませんでした。彼の言葉はすべて信じたのです。彼の信仰者に対する軽蔑と悪意は私自身のものとなりました。しかし今、私はそれ以来の空白を取り戻さなければなりませんでした。

私は牧師を始め、新たな方向に導いてくれる数人の人々と会いました。私は多くの疑問を抱えており、彼らはそれに答えてくれました。後に、私は自分の大きな間違いに気付きました。私はそれらに熟考・考察の余地を与えることもなく、すべて受け入れていたのです。彼らは色々なことをありのままに説明してくれたと言えますが、それは彼らにとって公平ではなかったかもしれません。事実、それは私の失敗だったのです。私は彼らの言葉について熟考もしなければ、批判的にも考えたりもしませんでした。このことは後に状況を非常に複雑にしました。今思い返してみると、私の態度に重要な影響を及ばした要素は年齢でした。私は信仰のような、重大かつ複雑な物事を適切に理解するには若すぎたのです。

私は良いクリスチャンになりたいと願っていましたし、それに向けて必死に頑張っていたことを神はご存知です。しかし、時間の経過と共に、預言者イエスの神格性、また原罪の概念のような、バイブルとの矛盾において納得することが出来なくなりました。牧師たちは私の疑問に答えようとしてくれましたが、やがて彼らの忍耐は続かなくなってきました。そういった事柄は、信仰の一環として受け入れられるべきであり、そのような疑問は時間の無駄で、私の神との間を分け隔てるものだ、と言われました。今でも、当時の精神的指導者と口論したことを覚えています。その出来事は私の過去の自滅的傾向を呼び起こしました。私は若かったので、結局、自分は間違っていたのかと思い始めました。

私がムスリムになった経緯

私のイスラームへの道は、容易なものではありませんでした。私がキリスト教に失望していたことから、その後すぐにイスラームに鞍替えしたのかと思われるかも知れませんが、そうではありません。当時、私がイスラームについて知っていたことといえば、ムスリムたちが神をアッラーと呼んでいること、彼らがバイブルの代わりにクルアーンを読むこと、そして彼らはムハンマドという人物を崇拝しているということだけでした。また当時の私には、イスラームを受け入れる準備は出来ていなかったと思います。

私は教会から遠ざかり、一匹狼のクリスチャンになりました。私は信仰者の集まり、または教会を恋しいとは思わなかったものの、神への思いが私の心の奥深くに根ざしており、それを手放すことは出来ないことに気付きました。私は泣いたりするどころか、全く正反対でした。私は神との時間を一人で過ごすことに喜びを感じ、神が私の側にいてくれることを願っていたのです。

その後、私は次から次へと愚行に走るようになって行きました。贅沢な暮らしと欲望に溺れたのです。私はそのような道が、自分を神から遠ざけ、地獄へと繋がるものとは認識出来ていませんでした。ある友人は、最底辺まで落ちなければ、足元にある地面を感じることなど出来ないんだよ、と言いました。正に、それが私に起きたことでした。私は落ちるところまで落ちたのです。サタンが両腕を広げて私を待ち構えていたのは容易に想像が出来ますが、それでも神は私を見捨ててはおらず、私にもう一度のチャンスをくれたのです。

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ラドコ チェコ出身の元無神論者(後半):強く成長する蒔かれた種

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説明: あるイラク人との出会いが、無神論者だったクリスチャンのイスラームへの関心を呼び起こします。

  • より ラドコ
  • 掲載日時 09 Jun 2014
  • 編集日時 09 Jun 2014
  • プリント数: 45
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2001年の7月、私はイラク出身の若者に出会いました。彼の名はイブラーヒームといいました。私たちはすぐさま打ち解けました。彼は自分がムスリムであることを私に教えてくれたので、私は自分がクリスチャンであることを告げました。私はそのことが彼にとって問題かもしれないと心配しましたが、それが間違いで安心しました。興味深いことに、私はムスリムになりたくもなかったし、彼は私を改宗させようと試みもしませんでした。

私はムスリムをエキゾチックな分類だと見なしていましたが、イスラームについてもっと学びたいとも思いました。それは学びの良い機会でした。私は、自分の正面にイスラームを教えてくれる人物がいることを意識していたので、勇気を奮い起こして質問してみました。それが私とイスラームとの最初の出会いで、最初の第一歩でした。その後、私たちは連絡が途絶えましたが、その時に種は蒔かれたのです。

私がムハンマド・アリー・スィルハヴィー(古参のチェコ人ムスリム)のインタビューを読み、彼の住所を調べて手紙を出そうと思っていた矢先に、9・11事件が起こりました。当時の政治的な風向きから、スィルハヴィー氏に手紙を出すのは適切な時期ではないかもしれないと思い、行き詰まってしまいました。

しかしその二ヶ月後、私は思い直し、勇気を出してスィルハヴィー氏に長文の手紙を出しました。しばらくすると、彼から小包が届き、そこにはイスラーム書籍と小冊子が入っていました。彼によると、彼は私のことをプラハのイスラーム機関に伝え、クルアーンの翻訳本を送ってくれるよう、手配したとのことでした。これが私にとっての始まりでした。そこから徐々に、私はイスラームが好戦的な宗教ではなく、全く正反対な、平和の宗教であることに気付きました。私の疑問は答えられたのです。

私は特定の状況に置かれていたため、私がスィルハヴィー氏を訪れようと決心したのは、それから3年後でした。彼は様々な問題について根気強く説明してくれ、ブルノ(チェコ第2の都市)にあるモスクを訪れるよう提案してくれました。ブルノのモスクを訪れると、部外者のように扱われるのではないかと恐れましたが、幸いなことにその思惑は外れました。そこでは、私を最初に手助けしてくれた、KとJに出会いました。もちろん、他にも可能な限りの温かい歓待をしてくれた兄弟たちとも出会いました。

私はイスラームのすべての側面を精査し始め、いかにイスラームが理解しやすく、論理的であるかを見出しました。私は次第に礼拝の仕方を学び始め、今日ではアラビア語でも問題なく礼拝が出来るようになりました。また、私はイスラームとは相容れない悪癖を止めることにしました。私はギャンブルにのめり込んでおり、そのことにかけては非常に長けていました。それは困難な葛藤でしたが、神の助けによってそれに打ち勝つことが出来ました。

イスラームに関する興味、または自分がムスリムとして生きれるかどうかを疑念を抱いていましたが、今ではその興味が永続的なものであり、自らをムスリムとみなしていると自信を持って言うことが出来ます。それは非常に単純なことかと思われるかも知れませんが、それも神の助けによって乗り越えることが出来たのです。私はイスラームを受け入れることに関してはとても慎重に検討しました。正直に言えば、2003年を通して、2004年の始まりまでは、そうできるかどうか完全に確信していたとは言えませんでした。最終的に、私は完全に決意しました。私はもう、90年代前半の、あの若者ではないのです。

それゆえ、私は今日、ムスリムとして非常に幸福であると感じています。ようやく、私は自由を感じています。私には不完全な部分もまだありますが、それらは時間をかけて向上させていこうと思っています。そして今、私にはあなたに伝えたいことがあります。それは私にとっての義務でもあります。それは私が心から、唯一なる真実の神以外に神はなく、ムハンマドが神の使徒である事を信じており、証言するということです。

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