真の宗教(7/8):神のしるし
説明: 著作「真の宗教」の第7章。唯一なる真実の神の存在が人間にとって明白になるよう、神は人間にしるしを示します。
- より Dr. ビラール・フィリップス
- 掲載日時 22 Sep 2014
- 編集日時 22 Sep 2014
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幼少期からこの世を去る瞬間まで、世界中のあらゆる地域の人々は、その魂にとって真の神(アッラー)が唯一であるということが明白になるまで、人生の中で神のしるしが示されます。神はクルアーンでこのように述べています。
“われは、わが印が真理であることが、かれらに明白になるまで、(遠い)空の彼方において、またかれら自身の中において(示す)。”(クルアーン41:53)
次は、神が偶像崇拝者の誤りに対してのしるしを示す例えです。南米、ブラジル南東部のジャングル地帯において、文明化されていない部族の人々が小屋を建て、彼らにとっての至高の創造神を象徴する偶像を祭りました。翌日、若者が偶像神にお参りをするために小屋に入り、彼が創造主かつ供給者であると教えられていた偶像にひれ伏すと、ノミだらけのみすぼらしい犬がこっそり入ってきました。若者が顔を上げると、犬は後ろ足を上げて偶像に尿をかけました。
憤激した若者は犬を小屋から追い出しましたが、彼の怒りが収まると、その偶像は全世界の主などではないということに気付きました。彼は神が他の場所にいるという結論に達しました。奇妙なことに思えるかもしれませんが、犬が偶像に排尿したのは、その若者にとっては神からのしるしだったのです。ここには、彼の崇拝していたものが偽物であったというしるしが含まれていました。それは彼が伝統に則って偽の神を崇拝することから彼を解放したのです。その結果、彼は選択することが出来るようになりました。つまり、真の神を探求するか、間違った道に従い続けるかのどちらかです。
神は、神の印に従う者がいかに正しく導かれるかという例えとして、預言者アブラハムによる神の探求に言及しています。
“われはこのように、天と地の王国をイブラーヒームに示し、かれを全く迷いのない信者にしようとしたのである。
夜(の暗闇)がかれを覆う時、かれは一つの星を見た。かれは言った。「これがわたしの主です。」だが星が沈むと、かれは言った。「わたしは沈むものを好みません。」
次いでかれは月が昇るのを見て、言った。「これがわたしの主です。」だがそれが沈むと、かれは言った。「わたしの主がわたしを導かれなかったら、わたしはきっと迷った民の仲間になったでしょう。」
次いでかれは太陽が昇るのを見て、言った。「これがわたしの主です。これは偉大です。」だがそれが沈むと、かれは言った。「わたしの人びとよ、わたしはあなたがたが崇拝する者と、絶縁します。
わたしは天と地を創られた方にわたしの顔を向けて、純正に信仰します。わたしは多神教徒の仲間ではない。」”(クルアーン6:75−79)
既述の通り、人間による神への本能的な信仰と、神を崇拝するという天性を促進させるため、また神によって日々示される真理を確固たるものとするため、預言者たちはあらゆる民族に対して遣わされています。それらの預言者たちの説いた教えの多くは歪曲されてはいるものの、神に起源を辿るその一部の教えは改変されずに残されており、人類による善悪の選択を助ける導きとしての役割を担っています。時代と共に受け継がれてきた神による教えの影響は、ユダヤ教のトーラーにおける十戒や、その後それを取り込んだキリスト教の教え、また古代と現代の大半の社会における殺人・窃盗・姦通などの法の存在において見い出すことが出来ます。
いつの時代も見てとれる神のしるしと、預言者たちを通した神による啓示により、全人類は唯一なる真実の神を認識する機会が与えられました。
いずれ、すべての魂は神への信仰、そして神による真の宗教であるイスラーム(神の御意への完全なる服従)に関する責任を問われることになるのです。
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