イスラームにおける神の概念(1/2):独自の概念
- より iiie.net(IslamReligion.comによる編集)
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 21 Oct 2010
- プリント数: 385
- 観覧数: 25,000 (日平均: 5)
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
全ての言語には神(アッラー)、そして時には位の低い神々を表現する、一つ以上の単語があることはよく知られています。しかしこれはアッラーには当てはまりません。アッラーとは唯一、真実の神の名前です。実際のところ、アッラー以外には何ものも神と呼ばれるべきではありません。このアッラーという単語には複数形や性別がありません。が、このことは“gods”のように複数形にしたり、“goddess”のように女性形にしたり出来る、“god”という単語と比較すればその独自性が明らかになります。イエスが話したアラビア語の姉妹言語であるアラム語における神の名前はアラーだということも、興味深い事実です。
唯一・真実の神とは、イスラームが神に対して位置付けている独自の概念です。ムスリムにとっての神とは全能の創造者、全宇宙の維持者であり、そして何ものにも似通らず、比較も出来ないとされます。預言者ムハンマドの時代の人々は神に関して彼に色々と尋ねました。それに対する回答は、クルアーンの短い一章という形をとって神から直接下されました。それは唯一性の真髄、または一神教のモットーと見なされます。次は聖クルアーン第112章からの節々です:
“慈悲あまねく慈愛深き神の御名において。”
“言え(ムハンマドよ)、かれは神、唯一なる御方であられる。神は、自存され、御産みなさらないし、御産れになられたのではない。そしてかれに比べ得る、何ものもない。”
一部の非ムスリムは、イスラームの神は完全服従を強いる厳格・残酷で無慈悲な神だと主張します。このような根拠の無い主張よりも真実からほど遠いものはありません。クルアーンではただ一章だけを除いた全章が、“慈悲あまねく慈愛深き神の御名において”という節で始まります。また預言者ムハンマドが、次のように言われたことが言い伝えられています:
“神の慈愛と慈悲とは、母親の子供に対するそれよりも深いのです。”
また、神は最も公正でもあります。それゆえ悪人や罪人は懲罰を受け、善い人々は神の報奨と寵愛を受けるのです。実際、神の慈愛の属性は、かれの正義の属性において如実に現れています。神ゆえに人生で苦難を被る人々は、他者を抑圧し搾取する人々と同じ処遇を主から受けるのではありません。その双方が同様の処遇を受けると考えることは来世に受ける審判への信仰を拒否することにつながり、現世での道徳的かつ善良な人生の理由を失うことになります。次のクルアーンの節々は、この件を非常に明瞭にしています:
“本当にアッラーを畏れる者に対しては、主の御許に喜びの楽園があろう。われは信心深い者たちを、罪人のように扱うとでもいうのか。あなた方はどうしたのか。あなた方はどう判断するのか。”(クルアーン68:34−36)
イスラームでは、いかなる人間の形をした神や人格化された神も、または神が富や権力、あるいは人種などを理由に特定の集団や国家を愛でているという観念を否定します。かれは人類を平等に創造され、人々は自らの徳と敬虔さのみによって他者よりも優位となり、そうすることでかれの慈愛を得ることが出来るのです。
神が創造において七日目で休息をとったこと、神が御自分の兵のひとりと格闘したこと、また神が人類に対する妬み深い策略者であること、もしくは神が人間の姿に具現化するなどといったことは、いずれもイスラームの概念においては冒涜にあたります。
アッラーという名前を神に対して用いることは、全ての神の諸使徒の教えであるイスラームが強調する、神への信仰の純粋さを反映します。このため、イスラームでは神々や偶像を神(アッラー)と並べる行為を最も重大な罪と見なし、(悔悟しない限り)それだけは絶対に赦されないとします。
創造者は創造物とは違う属性を持っていなければなりません。なぜならかれがそれら創造物と同じ属性であれば、かれは一時的な存在ということになり、更にその上の創造者が必要となるからです。よってかれには比べ得るものがありません。またもし創造主が一時的な存在でなければ、かれは永遠なる存在であることになります。そしてかれが永遠なる存在であれば、かれは生まれたのではないことになり、そしてかれが生まれた原因がなければ、かれ以外の何者もかれの存在を維持するものはなく、従ってかれが自存する者であることを意味することになります。そして更に、かれが自らの存在を維持するのに何も必要ではないのであれば、かれの存在には終わりがないことになるため、創造主は永遠不滅であることになります。よって私たちはかれが自存者、不死者であることを知り、クルアーンの言葉を用いればかれはアル=カイユーム(かれは最初であり最後である)であるということになるのです。
また創造主は単に無から存在を創り出すだけではなく、それらの存在を保持すると同時に、それらの存在を消去し、かつそれらに起こる全ての諸事の原因でもあるのです。
“アッラーは、全てのものの創造者であり、また全てのものの管理者である。天と地の鍵はアッラーにこそ属する。”(クルアーン39:62−63)
そして神は次のように仰せられています:
“地上の全ての生きもので、その御恵みをアッラーから頂いていない者はない。かれはそれらの居住所と寄留所を知っておられる。”(クルアーン11:6)
コメントを付ける