マリアーノ・リカルド・カエ アルゼンチン出身の元カトリック信者
説明: アラビア語の学習によって、いかに彼がイスラームに導かれたかについて。
- より マリアーノ・リカルド・カエ
- 掲載日時 07 Jul 2014
- 編集日時 07 Jul 2014
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私の名はマリアーノ・リカルド・カエです。私はアルゼンチンのブエノスアイレス(首都ではなく州の方)出身です。私はイスラームの改宗前、ローマカトリック教徒でした。私は洗礼され、教会員になる儀式も受けました。
私は幼少の頃から、母と祖母を通して宗教に親しんできました。
私は7歳のときからバイブルを読んでいました。子供用のスペイン語バイブルから読み始め、ダビデ、ノア、ヨブを英雄としていました。
11歳の頃、私は毎晩祈りを捧げていました。時に、私は神に話しかけつつ涙しました。私は青年期、21歳まで麻薬に溺れました。私は常に真実を探し求めていました。
24歳で私はより多く祈りを捧げるようになり、父なる神に一回、アヴェ・マリアに一回といった具合に、一日に24回、シャワーの冷たい水(温かい水がなかったから)の下でひざまずいて祈ったものです。これを私は一年間を通して行いました。それは何の役にも立ちませんでしたが、神こそが真実をご存知です。
去年の初め、私はマヤ文明の古写本、アトランティス、クフ王のピラミッド等と同時に、アラビア語の歌詞を理解するためにアラビア語を勉強していました。
私はインターネットで見つけた本を使い、アラビア語を独学し始めました。2週間後、何とか話せるようになったので専門学校で試験を受けると、レベル2から始めることができ、4ヶ月分の時間を得することが出来ました。その後私は大学に入りましたが、2クラスしか取りませんでした。ただ、私はメールで講師とコンタクトを取り続けました。
私の母がブックフェアで、イスラームに関する2冊の本を無料で受け取ってきました。それらを読むと、クルアーンで言及されている科学の話題が非常に興味深く思えました。そしてムハンマドについて読むと、自身の模範であると感じました。
それである日、私は喫煙と飲酒を絶ちました。私は大酒飲みではなかったものの、アルコールに関わること全てを完全に断ち切ったのです。それは自分自身による決断で、シャハーダ(イスラーム入信の信仰証言)をする日までは、私は自分がムスリムになることなど思いもしませんでした。
私はクルアーン写本を購入することによってアラビア語を読み、早く学びたいと思いましたが、私の講師はパレルモ(ブエノスアイレス)のモスクで無料で入手することが出来ると教えてくれました。
その日の内にクルアーン写本を貰うためにモスクへ行きましたが、なぜモスクのような素晴らしい場所に誰もいないのかと驚愕しました。アルゼンチンはイスラーム国家ではないですが、そのモスクは南米最大のモスクなのです。
その日、後にイスラーム同胞となるイブラーヒームがインターネットでダウンロードすることの出来るサイトのリンクをくれ、後日それをプリントしました。小一時間で私はクルアーン写本を手に入れることが出来ました。
私はインターネットでダウンロードしたクルアーンを読みました。それはアラビア語とスペイン語のもので、アラビア語本文の理解を容易にさせました。
幼少以来、私はバイブル全体を二回読み、インドのギーターを同じく二回、そして今はクルアーンをアラビア語で読むことが出来るようになりました。クルアーンを読み始めると私の魂は目覚め、まずアラビア語を学びたいと願うようになりました。私は当初から、辞書を使いつつアラビア語で読んでいました
アルハムドゥリッラー、クルアーンの語ることは、バイブルに欠如していたことだということを私は認識することが出来ました。クルアーンの語ることの全ては、私が探し求めていた真実であることが分かったのです。
誰も私にイスラームについて教えてくれた訳ではありません。真実を探求していたことで神は私をそこにお導き下さったのです。私が神に抱く感謝の気持ちは非常に大きなものです。クルアーンを読めば読む程、クルアーンはバイブルのような神の啓典であることが理解出来ました。
それ以来、私はモスクへと足を運ぶようになり、2週間後の7月14日にはシャハーダを言いました。私は、ムハンマドがイエスやモーゼのような神の使徒であることを確信したからです。
それから、私はイスラームについての読書を始め、モスクでアラビア語を勉強し始めました。私はアキーダ(信仰箇条)とタウヒード(一神論)について読み、スペイン語で一気にクルアーン訳を読み終えました。
私がシャハーダをする2週間前、勉強のためにモスクを訪れたとき、そこが安寧に満ちた場所だと実感しました。私はまだムスリムではなかったものの、神の御前で祈るということはどういう感じがするのかを確かめるため、ムスリムたちと共に礼拝をしました。神にとっては意図こそが重要であることを知っていました。
2週間後には、サラー(礼拝)の仕方を覚えました。そこで働いていた特別な人々とも懇切になりました。
私はアラビア語を愛すようになり、神がより早くそれを学ばせてくれるよう願っています。私はサウジアラビア出身のシャイフ・ナースィルの前でシャハーダをしました。彼はシャイフ・ハーミドの交代でやって来た人物です。
モスクに通い続ける内に、ラマダーンがやって来ました。それはとても美しい経験でした。素晴らしい人々とも出会い、2007年は私にとっての最高の年でした。私はシャハーダをして以来、サラーをし損なったことがありません。
私にとって困難だったのは男女関係に関わることでした。当時私にはガールフレンドがいましたが、どちらにせよ彼女との関係を持続することは難しかったので、彼女とは別れ、神に良い妻を授けてくれるよう祈りました。
それが神に祈った最初のことだったと覚えています。そしてシャハーダをした同じ週に、私は一人の女性と知り合ったのです。彼女はボーイフレンドを持ったことが一度もなかっただけでなく、美しい女性でした。私は神の偉大さを思い知りました。私は常に強く神を信じていましたが、それ以来、一切の疑念は吹き飛んでしまいました。
私は両親に自分がムスリムであることを告げました。母は多少怖れていましたが、私は両親への孝行を始めました。私は兄弟たちから多少からかわれただけで、彼らは他には何も言いませんでしたが、私は彼らよりも人をからかうタイプなので、それは問題ではありませんでした。
仕事を見つけ、上司に礼拝の許可を求めると、問題なく了承されました。アルハムドゥリッラー。私はイスラームに基づいて、笑顔でいることに努めるようになり、対人関係にも注意を払うようになったため、人生がより良いものとなりました。
私は復学し、より良い仕事を見つけたため、いつも時間に追われていましたが、可能な限りモスクに行き続けることを心がけました。私はサヒーフ・ムスリムなどの本を常に携帯しています。
友人たちの反応はおかしなものでした。アルハムドゥリッラー、私は常に良き友人たちに囲まれてきました。私はいつも人から何かを学ぶことが好きだからです。私の親友たちは実践的なカトリック信者です。彼らは毎週日曜日にミサに行きますが、私がムスリムになってからは欠かさず行くようになりました。
私は彼らが聞いてきた質問の全てに答えました。今日に至るまで、彼らは質問を止めません。私の親友とそのブラジル出身の妻はキリスト再臨派信者です。他の友人も強い信仰を持っています。彼とその妻はカトリック信者です。
私は神に、私がかれの宗教における宣教役となり、私の両親と友人たちを導いてくれるよう祈っています。ただ、もしも彼らが導かれずとも、それは運命であることを受け入れ、悲しんだりはしません。
さらに、私の弟(私は長男です)は不可知論者です。彼は私を悪人だと思い込んでいます。私は家族のために祈ります。母はハム抜きの料理を作ってくれます。ただ、私は家族のすることの一部に反対していることは避けがたい事実です。
私は神を愛しています。神への愛は、家族への愛に勝るものです。私は預言者ムハンマドを愛しています。そして私が真の信仰者であるためには、この地球上の誰よりも彼を愛さなければなりません。そして私はこの宗教を愛しています。私に出来る最善のことは、神を讃えることだけだからです。
実際、私は考え得る全てのものを手にしました。私は最高の仕事を手に入れ、復学し、神が私の人生に授けてくれた女性との結婚の準備をしているのですから。
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