イスラーム文明の多様性(1/2):序説
説明: 様々な非ムスリム学者、知識人たちによる、イスラーム文明の多様性についての証言。第一部:序説。
- より iiie.net
- 掲載日時 19 Jul 2010
- 編集日時 18 Mar 2012
- プリント数: 263
- 観覧数: 19,367
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)に啓示されたイスラームは、それ以前の全ての啓示宗教からの継続であり、最終的な結実でもあるため、あらゆる時代と人々に適用されます。イスラームのこのような地位は、その輝かしい事実に基づいています。まず第一に、啓示された当時と同じ状態と内容がそのまま保たれている啓典は他に現存しません。第二に、あらゆる時代の人生の、あらゆる側面に対して導きを与えるという、説得力のある主張の出来る啓示宗教は他にありません。イスラームは全人類を対象に呼びかけ、人類のあらゆる諸問題に対しての基本的な導きをを与えるのです。また更に、それは1,400年に渡る試練を乗り越え、最終の預言者ムハンマドの指導の元に実現したものと同じような理想的社会を構築する可能性を秘めているのです。
預言者ムハンマドが十分な物資もないまま、彼に最も辛辣だった敵をイスラームの中に呼び込むことが出来たのは、奇跡の一つです。偶像崇拝者、父祖の信仰への盲目的な追従者たち、部族間の不和を助長する者たち、また人間の品位と生命を脅かす者たちは、イスラームとその預言者のもと、最も品格ある国家として変貌したのです。イスラームは、誠実さこそが美点と名誉の唯一の基準であると宣言することにより、彼らに精神的高みと人間としての品位への展望を開いたのです。イスラームは彼らの社会的、文化的、道徳的、そして商業的営みに対し、人間性に適合する基本法と原則を与え、それらを形作りました。人間性とは変化しないものであるため、あらゆる時代に適用されることが出来るのです。
西洋のキリスト教徒たちがイスラーム勃興期に、彼らの驚異的な成功を心から理解しようせず、その代わりに敵対宗教と見なしてしまったことは非常に不幸なことでした。十字軍による数世紀にはこの傾向が顕著になり、更に勢いづきました。そしてイスラームの印象を汚そうとする大量の文献が出回ったのです。しかしイスラームは、いわゆる「偏見のない東洋学者」たちによる攻撃が誤りであることを明らかにする、イスラームに対する大胆かつ客観的な研究をする近代学者たちによって、その正真正銘さをあらわにし始めたのです。
それでは、近代において権威ある非ムスリム学者たちによるイスラームの研究成果の一部を提供しましょう。真実に代弁者は必要とはされませんが、イスラームに対する長年の悪意に満ちたプロパガンダによって、自由で客観的な思想を持った人々にさえ大きな混乱が見られることも事実なのです。
私たちは以下の研究成果が、イスラームの客観的評価につながるであろうという願望を抱いています。
キャノン・テイラー氏:ウォルヴァーハンプトンでの教会議会において1887年10月7日に読まれた論文、そして The Preaching of Islam(イスラーム宣教)の71−72頁から、アルノンド氏によってこのような引用がされています。
“それ(イスラーム)は動物性を人間性に置き換えたのである。それは奴隷へ希望を、人類へ兄弟愛を、そして人間性に関する基本的事実への認識を与えたのである。”
またサロジーニー・ナーイドゥー氏は“ The Ideals of Islam(イスラームの理想)という講義をしています(Speeches and Writings of Sarojini Naidu、マドラス、1918年、167頁参照):
“正義感は、イスラームの最も素晴しき概念の一つである。なぜなら私はクルアーンから人生における躍動的な原則を見いだし、それは神秘的ではなく、日常において全世界に適した実践的な倫理体系だからなのである。”
デ・レイシー・オーリアリー氏のIslam at the Crossroads(岐路に立つイスラーム)ロンドン、1923年、8頁では:
“狂信的なムスリムたちが世界各地になだれ込み、支配地域の人々に対して剣先でイスラーム改宗を強いたという伝説は、これまでに歴史家たちが繰り返し復唱してきた、最も空想的で馬鹿げたおとぎ話の一つである。”
H・A・R・ギブ、Whither Islam(イスラームはどこへ)、ロンドン、1932年、379頁では:
“しかしイスラームは依然として、人類の利益へ更なる奉仕をする役割を担っているのである。そして何と言ってもヨーロッパよりも東洋に近いため、異人種間の理解と協調といった見事な伝統を有している。これほどまでに多種多様な人種間における地位、機会、努力の平等性、そして統一における成功は、未だかつていかなる社会でも見られなかったことである・・・
イスラームには、異人種間、または伝統における調和し難い要素を調和させてしまう力がある。もしも東洋と西洋の偉大なる社会における対立が調和によって置き代えられるのであれば、イスラームによる調停が絶対的に必要とされる条件だろう。その手中には、ヨーロッパの直面する、東洋との対立関係に対する問題の解決があるのだ。もしも双方が団結すれば、平和への期待は果てしなく増すのである。しかし、もしヨーロッバがイスラームとの協力を突っぱね、拒否するのであれば、双方にとっては悲惨な結果としかならないだろう。”
ジョージ・バーナード・ショー、The Genuine Islam(本物のイスラーム)、一巻、81936番:
“私はムハンマドの宗教に対し、その素晴しいエネルギーに対して常に高い評価を与えて来た。それは存在にとって欠かすことの出来ない変化の様相へと同化することの出来る力を持ち、いつの時代においても魅力的に映るであろう唯一の宗教ではないのだろうか。私は彼について研究した。彼は私に言わせれば、反キリストなどとはかけ離れた、人類の救世主とでも呼ばれるべき素晴しい人物なのだ。私は彼のような人物が現代社会で権力を握ったのであれば、今必要とされている平和と幸福をもたらす方法によって諸問題の解決に成功するであろうことを確信している。私は現代ヨーロッパにおいてムハンマドの信仰が認められつつあるように、ヨーロッパの明日において認められたものになることを予言しよう。”
イスラーム文明の多様性(2/2):その他の証言
説明: 様々な非ムスリム学者、知識人たちによる、イスラーム文明の多様性についての証言。第二部:更なる証言。
- より iiie.net
- 掲載日時 26 Jul 2010
- 編集日時 26 Jul 2010
- プリント数: 227
- 観覧数: 18,207
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
A・J・トインビー、Civilization on Trial(試される文明)、ニューヨーク、1948年、205頁:
“ムスリム同士の人種に関わる対抗意識の根絶は、近代社会においてイスラームにより達成された傑出したものである。このイスラーム的美徳の伝播は緊急を要するものである。”
A・M・L・ストダード、Islam – The Religion of All Prophets(イスラーム — 全預言者の宗教)Begum Bawani Waqf 、カラチ、パキスタン、56頁の引用:
“イスラームの興隆は、恐らく人類史上において最も驚異的な出来事なのではないだろうか。それまでは取るに足らないような土地と民から発祥したイスラームは、一世紀も経たない内に世界の半分に広まり、諸々の大帝国を打ち砕き、長きに渡って確立されていた諸宗教に勝利し、人類の魂を再生させ、イスラーム世界という全く新しい世界を築き上げたのである。”
“より至近距離からこの発展を観察すればする程、それはより驚愕的に映る。他の大宗教は苦痛を伴う闘争によってゆっくりと発展し、最終的には強力な君主が改宗することによって成功を収めている。キリスト教はコンスタンティヌスによって、仏教はアショーカ王によって、ゾロアスター教はキュロスによって、その強大な世俗権力を助けにそれぞれの信仰を支えて来た。しかしイスラームはこういった形式には該当しない。人類の記録上目立った動きのなかった、遊牧民がまばらに居住するだけの砂漠地帯から勃興したイスラームは、やせこけた人々による支持と、物資的にも全く勝算のないような状況から、その歴史における門出を迎えたのである。それにも関わらず、イスラームは奇跡とでも言える程、あたかも容易であるかのように大成功を収め、三日月旗はその後の数世代でピレネー山脈からヒマラヤ山脈まで、さらには中央アジアの砂漠地帯から中央アフリカの砂漠地帯にまで猛烈な広まりをみせたのである。”
エドワード・モンテ、“La Propaganda Chretienne it Adversaries Musulmans”(キリスト教徒によるプロパガンダはムスリムを敵とする)、パリ、1890年から、T・W・アーノルドのThe Preaching of Islam(イスラームの宣教)、ロンドン、1913年、413−414頁による印用:
“イスラームとは語源的にも歴史的にも、考え得る限り最も広範な意味で根本的合理主義の宗教である。基本的な宗教信条を元にしたシステムとしての合理主義の定義は、正確な理性適用の提供である・・・多くの教義や神学システム、また聖人崇拝からロザリオや魔除けなどの使用に至るまでの数々の迷信は、ムスリム信条の主幹に継ぎ足されてしまったのである。しかし豊かな発展にも関わらず、預言者の教えのあらゆる意味では、クルアーンは常に基本的な出発点としての不動たる地位を確保し、その中では常に偉大さ、荘厳さ、そして不変の清らかさと確固たる説得力をもって神の唯一性を唱える教義が展開されており、イスラーム以外でそれを超えるものを見つけることは困難なのである。宗教の根本教義への忠実性、宣言された形式の容易さといった要素、またそれを伝播する宣教師の熱烈な信念といった証拠を含め、ムハンマドの教えの宣教における成功を説明する要因は数多くある。神学的難解さが取り除かれた明快な信条により理解がし易いことから、人々の共感を勝ち取るような驚くべき力を持ちつつある・・・いや、もう実際に持っているのだ。”
W・モントゴメリー・ワット、Islam and Christianity Today(今日のイスラームとキリスト教徒)、ロンドン、1983年、IX頁:
“私は一般的感覚で言うムスリムではないが、“神に従属する者”という意味では“ムスリム”であることを願っている。ただ、クルアーンとイスラーム的表現による先見の明には、私を含む西洋人らが依然として学ぶべき多くの神的真理が埋め込まれており、‘確実にイスラームは未来の宗教の一つとしての基本的枠組みを成すであろう有力候補なのだ。’”
ポール・ヴァーロ・マーティンソン(編集者)、ISLAM, An Introduction for Christians(クリスチャンのためのイスラーム紹介)、オーグズバーク、ミネアポリス、1994年、205頁:
“イスラームとは、私たちの隣人であるムスリムたちの最も内なる本質を形成し、彼らの人生における心構えを決定するものである。そしてイスラームの信仰は、世俗主義の影響を相当に受けている近代西洋形式のキリスト教よりも、一般的に伝統主義的である。我々はイスラーム大衆に対し、彼らの信条の核を理解し、一つの信仰共同体として敬意を払うことによって公正であるべきだろう。ムスリムたちは信仰の対話における重要なパートナーになったのである。”
ジョン・アルデン・ウィリアムズ(編集者)、ISLAM、ジョージ・ブラズィラー、ニューヨーク、1962年、カバー内の記述:
“イスラームは儀礼的宗教を超越したものである:それは人生の総合的な生き方そのものなのである。それは他のいかなる世界宗教よりも多くの場合において、信奉者たちの経験における決定的要素なのである。ムスリム(服従する者の意)は常に神と向き合って生き、その人生において宗教、政治、信仰を分け隔てることを決してしない。人類が兄弟として神の意志を遂行するため相互協力を強調することにより、イスラームは現代世界において最も影響を与える宗教の一つとなったのである。”
ジョン・L・エスポジト、ISLAM, The Straight Path、オックスフォード大学出版局、ニューヨーク、1988年、3−4頁:
“イスラームとはセム系啓示宗教の長き伝統の中に位置し、厳格な一神論、神の啓示、諸預言者、倫理的責任、死後の清算、そして審判の日の信仰を共有するものである。確かに、キリスト教徒やユダヤ教徒と同じように、ムスリムもその共同体をアブラハムに帰する、彼の子孫なのである。イスラームのキリスト教界とユダヤ教に対する宗教的・政治的関係は、歴史を通して力強いものだった。こういった相互作用は、相互利益と貸し借りの源泉であり、誤解と争いの源泉でもあったのだ。”
コメントを付ける