リンダ・フィッツジェラルド アイルランド出身の元カトリック信者(1/4)

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説明: 孤独感から人生の新たな一歩を求めていたリンダは、サウジアラビアでの仕事を引き受けます。

  • より リンダ・フィッツジェラルド
  • 掲載日時 12 May 2014
  • 編集日時 12 May 2014
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まえがき

Lynda_Fitzgerald__Ex-Catholic__Ireland_(part_1_of_4)_001.jpgリンダ・フィッツジェラルド(ムスリム名ハディージャ)は、アイルランドの首都ダブリン近郊のウィックローという街の出身です。彼女の家庭は非常に厳格なローマ・カトリック信徒で、9人の兄弟姉妹がいます。彼女の父親は電気技術者で、母親は主婦をしています。

リンダはウィックローで義務教育を終え、秘書養成学科に進み、その後ダブリンで9年間に渡って働いていました。

現在ハディージャと呼ばれている彼女は、サウジアラビアに渡航してイスラームに改宗しました。この記事で、彼女は聖地を訪れ正道に導かれた経緯を語ります。彼女に神の祝福がありますように。

私がどのようにしてサウジアラビアにやって来たか

私は若者の社交クラブに入っていました。彼らは毎週月曜日にミーティングを行い、その後パブに行っていました。私自身も時々彼らとパブに行きましたが、ほとんどはミーティング後に帰宅していました。ある夜、クラブに新しい女の子が入ってきたので、パブに行って彼女と会話し、歓迎することにしました。すると彼女はサウジアラビアに人材を派遣する業者で働いているということが分かりました。彼女は沢山のことを教えてくれ、私はそれに魅了されてしまいました。それ以前、サウジアラビアのことは殆ど聞いたこともありませんでした。夜がふけるにつれて、私はさらに興味を持ち、パブを出る頃にはすっかりサウジに行きたくなってしまっていました。

1993年のその年、私はある仕事に応募しましたが、採用には至りませんでした。その後しばらくはその事を考えなくなりましたが、クリスマス休暇を実家で過ごした私は停滞感にとらわれ、人生で何か違うことをしなければならないと決意しました。友人たちは皆ボーイフレンドや夫を持ち、異なる物事を始めていました。急に私は自分には何のしがらみもないことに気付きました。クリスマス後に都市部に戻ってきた私は、人材派遣会社の例の女の子を訪れ、サウジアラビアの仕事を見つけたら何でもいいから紹介してくれと頼んでいました。彼女はこう言いました。「信じられないかも知れないけど、ついさっき公安部隊病院が秘書を募集するファックスが来たのよ。」1994年の3月15日、私はここサウジに来ていました。

イスラームに対する第一印象

サウジアラビアに行って、他の欧米人たちが最初に教えてくれるのは、いかにムスリムたちがとんでもない人々かということで、彼らが女性たちに酷い仕打ちをし、礼拝所に行ったきり何時間も戻ってこず、そしてバーレーンで飲酒や女遊びに明け暮れていることなどに関してでした。このようにして最初から偏見を持たされるのです。そしてそれがイスラームだと思い込まされます。しかし、それはイスラームではありません。不幸にも、大半の欧米人たちはそのことに気付かないのです。

いかにその偏見を脱することが出来たのか

私にとっては、最初から興味津々でした。モスクで人々が礼拝しているのを見ると、私はそのような神への強い信仰を持てることは素晴らしいことだと思いました。そこでは床にリーフレットが置かれていたため、拾いあげて読んでみたりもしましたが、欧米の友人から「そんなものを読んでどうすると言うの?彼らはあなたを洗脳したいだけなのよ」と言われ、恥ずかしくなって止めてしまいました。その後私はアラビア語のレッスンを受け始めましたが、教師のエジプト人男性にはとても感銘を受けました。彼は私が出会ったムスリムたちとは一線を画す人物で、彼の信仰は非常に強いものでした。私は職場のムスリム男性との確執があったため、そのことの相談相手として彼のような人物を必要としていました。私は怒りにまかせてすべてをイスラームのせいにしたりしましたが、彼は忍耐強く、それがイスラームのせいではないこと、そして全てのムスリムたちがそのような態度を取るのではないことを説明して分からせてくれました。

欧米人たちが他に言う事としては、全てのムスリムたちは非ムスリムへの布教にやっきで、洗脳しようとしてくるということでした。それゆえ、誰かがイスラームについて語ってくると私は非常に用心深くなり、彼らとの間に壁を作り、彼らが何を言おうが受け流すことにしていました。しかしエジプト人ハーリドに関しては、私が先に言及したり、何かを誤ってイスラームのせいにしたりしない限りは決してイスラームについて話したりはしませんでした。また、私は彼に対し、全くイスラームとは関係のないことについて不正に暴言を吐いたりしたものでした。彼は常に平静を保ち、とても忍耐強く、ただ単に私に真実を知って欲しがっていたことは明白でした。彼はただ、私が不公平だったこと、そして間違った情報を信じ込まされていたことを私に気付かせたかっただけなのです。

そしてラマダーン月になりました。職場のサウジ人男性たちは「食べ物のにおいがするぞ、君たちは職場で食べるべきではない、私たちへの敬意をもっと示すべきだ」と不平不満を述べ連ねました。私は机の上に水が入ったグラスを置くことすら出来ないことへの理解に苦しみました。結局、彼らは神への犠牲を払うべきなのであり、私の机の上に水があったとしても気に留めるべきではないのです。以下の私の日記からの抜粋は、ラマダーンの始まりに私がどう感じていたかをよく示していると思います。

「ラマダーン。ああ、何という一ヶ月なのかしら。本当に腹がたつわ。『食べ物』という言葉さえ使っちゃいけないのよ。彼らは皆、たいそうな殉教者であるかのように振る舞いだすけど、仕事すらしていないわ。一晩中食べ明かし一日に6時間しか働かないくせに、私たち皆を完全に不信心者扱いするのよ。」

友人のハーリドはきちんと説明してくれました。ラマダーンでは深夜の礼拝に励んだり、善き素行に努めてみだらなことや不平不満を言わないこと、陰口をたたかないこと、喜捨をたくさんすることなどについて説明しました。彼によれば、一部の欧米人は断食がどんなものかを好奇心から試してみますが、それに大満足して毎年やっている人もいるそうです。ある朝、私は断食してみることを決意しました。私は当初、そのことをハーリドはもちろん誰一人として告げていませんでしたが、しばらくすると彼に気付かれてしまいました。

ある日、彼のところにいると、彼は私に読んで欲しい物があると言ってきました。彼はクルアーン写本のイエス(彼に平安あれ)に関する章句を私に見せ、まるで貴重な宝石を渡すかのようにそれを私の両手にそっと置きました。私は圧倒されてしまいました。別にそれを彼に返したかった訳ではありませんでしたが、もし私がどのように感じていたかを彼に言えば笑われることを怖れ、尻込みしてしまいました。なので結局彼に返したのですが、彼がようやく「クルアーンを読んでみたらどうだい?」と切り出すまで、そのことは何日も私の中でくすぶり続けていました。そのときはまるで背中から重荷が降りたように感じ、私はそれを家に持ち帰り、その日の夜から読み始めたのです。

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リンダ・フィッツジェラルド アイルランド出身の元カトリック信者(2/4)

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説明: クルアーンを読んだ後、リンダはイスラームに改宗して過去の信仰と生き方を棄てるという概念に苦悩します。

  • より リンダ・フィッツジェラルド
  • 掲載日時 12 May 2014
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クルアーン

クルアーンを読んだ時、2つのことが起きました。まず、第2章(アル=バカラ章)の21節を読んだとき、読むのをやめ、目を閉じて神について考えていました。突然、私は神の唯一性、そして神の全能性についての感覚を得たのです。私には、神が同位者を持つことの必然性が全くないことが分かりました。私にはただ、誰かが神と同じ段階にいるはずがなく、神はそれを必要としていないことが分かりました。そのことに関しては確信することが出来たのです。奇妙な平穏が私に訪れ、唯一なる真実の神以外に神はないことを強く確信したのです。私はその感覚が永遠に続くことを願いましたが、それは数分でどこかに行ってしまいました。

2度目は、スーラ・アル=ハッジ(22章5節)を読んでいたときでした。再び目を閉じると、生まれたばかりの不毛な地球が浮かび上がりました。土が盛り上がり、種が木に成長する過程が見えました。そして私はこう思ったのです。「その種はどこから来たのだろう?」世界中の美しい種々の植物はどこから来たのでしょうか。それは神以外からはあり得ません。私はまた平穏と、神の驚異を感じました。

改宗前の数ヶ月

それは私の人生において最も困難でありながら、最高の数ヶ月でした。私は時に高揚し、時に絶望していました。以下は、4月に書いた日記の抜粋です。

「何か変なことが私に起きていて、それについてどう感じればいいのか分からないわ。良いのか悪いのか、想像力が暴走しているのか、それとも自分自身を洗脳させているのか。でも、それは正しいことで、そうなる運命なのかも知れない。

ただ、私はこれまでイスラームを勉強してきて、本当に改宗を考えている。神よ、お助け下さい。現在、何も考えることが出来なくて、何もかもが怖いわ。こんなことが私に起こるなんて全く考えても見なかった。確かに以前は改宗なんてしたくなかった。私は自分自身をカトリックとして見なしてきたし、いつも神を信じ、イエスが神の子だと信じてきた。今、そのことすべてに疑問を呈し、生まれたときから信じるよう言われていたこと、そして人生のありかたについて疑問を呈しているの。」

私は朝起床してから夜帰宅するまでイスラームのことについて考えていました。しばらく経つと、アザーンを耳にすると礼拝をしたいという強い欲求を感じ、始めはキリスト教徒のやり方で祈りを捧げていました。そして職場の同僚に礼拝の仕方についての本を求めたら、ある一冊を渡してくれました。その本を読んだり、テレビで礼拝する人々を観察したり、沢山の質問をしたりしました。そうして私は礼拝をし始めました。ただ、職場では2人しか礼拝の方法を知りませんでした。例のエジプト人と、彼同様とても信仰心の厚いムスリムのヨルダン人です。

当初、私は髪を覆い隠さずに礼拝をしていました。私はそうすべきだということを知りませんでしたし、誰かがそのことについてようやく教えてくれた時も、なぜそうすべきなのか理解が出来ませんでした。それについてはある日職場でハーリドと長い議論を交わしましたが、依然として理解することは出来ませんでした。そしてその日の夕方の帰宅途中、バス乗り場へと歩いている途中、ふと神の絶対性を感じ、神に比べるといかに私がちっぽけで取るに足らない存在であるか、そして私の前に広がる全世界において自分が蟻のように小さくに感じました。神は私のあらゆる動きを見ることができ、私には傲慢である権利はなく、神をご満悦させることであれば何であれそれをすべきであるため、礼拝時には髪を覆うべきだと感じたのです。それ以降、礼拝時に髪を覆うべきであるということに疑念を感じることはなくなりました。

1995年4月23日の日記

「いまだに何をしているのか分からなくなる。ある時は、何もかもが明白になって『よし、私は信じるわ。そのことを声高らかに宣言したい』と思うけど、別の時にはまったく自信をなくして疑念に頭をもたげ、何をすべきか分からなくなって恐怖するの。とても難しい。これは他の宗教よりも、とても良い宗教だと思っている。クルアーンは本当に美しいし、そこにはどう振舞うべきか、どう礼拝すべきか、何をすべきか、何をすべきではないかなど、すべてのことが書かれてある。時代の要求にかなったことをその都度変更するカトリック教会には、そういったものは一切ないわ。イスラームという宗教に従えば、自分だけでなく、他人に対しても悪い方向に向かうことはない。親切さ、忍耐深さ、寛大さを身につけることが出来るし、一日に5回の礼拝をするから神のことを忘れることも絶対にない。私はお祈りが好きだし、これまでもずっとそうだった。それがあったから人生のなかの良いことと、それがどこから来たのかを思い起こせたし、常に感謝の気持ちを持つことが出来た。それが人生に平穏をもたらすのよ。」

時には、イスラームを見つけたことがとても嬉しかったですし、時には逆のこともありました。なぜなら真実を知ってしまった今、私には改宗以外の選択肢がないことを悟ったのですが、依然として古い人生にしがみついたままだったからです。私は飲酒やパーティーを止めていましたが、欧米人の友達を失うことや、頭髪を覆い隠すことに対する偏見に晒されることが怖かったのです。そのことについてハーリドに何度も相談したのですが、その都度私は「ヒジャーブを着ける勇気なんて絶対にないわ」と言い、その都度彼は「神がお望みになれば、君も勇気を持つことが出来るよ」と言ったのです。

私の日記にはこうあります。「私の問題点は、私が生来の臆病者だということ。私は髪を覆い隠したときの人々の反応が心底恐ろしいわ。どうすれば母さんやオーストラリアのリズにこのことを言えるだろうか。どうすればオーストラリアやアイルランドで髪を覆うことが出来るだろうか。そんなこと直面出来っこない。神さま、強さをください。」

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リンダ・フィッツジェラルド アイルランド出身の元カトリック信者(3/4)

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説明: リンダはヒジャーブを着けることの内的葛藤について語ります。

  • より リンダ・フィッツジェラルド
  • 掲載日時 19 May 2014
  • 編集日時 19 May 2014
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転職

Lynda_Fitzgerald__Ex-Catholic__Ireland_(part_3_of_4)_001.jpg私の働いていた病院はしばらく新規採用をしていませんでしたが、6月になると突然始まり、私が転職することの出来る職務が2つ募集されました。一方は人事部で、もう一方は教育・研修部でした。私にはどちらに行くかの選択肢があり、双方の責任者とも私を強く勧誘していました。もしも人事に入れば、私は物事の中心に位置し、病院で起きていること全てを把握し、将来的にはより多くの昇給の機会もあります。もしも教育部に入ったのなら、より多くの人々が私がムスリムになったということを知る可能性が高まり、私は髪を覆い隠さなければならなくなるでしょう。私はどうすべきか何週間も思い悩み、やきもきしました。突然、物事の中心にいること、そして病院で起きていることを把握し、強い役職にいることが私にとって非常に重要なことに思えましたが、何かが私を押しとどめていました。すると私のヨルダン人の友人が、夜の礼拝後に2ラクアの礼拝を捧げて神のお導きを請い願うようアドバイスしてきました。それを数日間に渡って続けてみましたが、はっきりとした答えはまだ分かりませんでした。心の奥底では教育部に行きたいと思っていることは分かっていましたが、私は自分の中で葛藤し続けていました。人々が私がムスリムであることに気付くことや、彼らにそのことで直面することを怖れていて、もし人事に行ったときに手に入れることの出来る強力な役職に対する思いも絶えず浮かんでいました。そしてある夜、クルアーンを読んでいたとき、お金やゴシップ、権力などは私にとって何の意味もなくなりました。実際、私はそれらに意味を見出してはいませんでした。そうであるなら、どうして今更突然それらが魅力的になったのかと思うと、シャイターン(悪魔)が私をそそのかそうとしていたからだと思います。なぜなら、もし私が教育部に行けば、そこにはより多くのムスリムたちがいることから、シャイターンは私がサポートを受けてより宗教的になることを知っているからです。するとモヤモヤしていたものが取り除かれた感じがし、私は決意して、上司にそのことを伝える明日が来るのが待てなくなりました。そしてもちろん、私は教育部に入ったのです。

ヒジャーブを着ける

その後、物事は急速な展開をみせました。私はモスクで礼拝し始め、教育部ではたくさんのサポートを得ました。それから事に気付いた私の(宗教に厳格な)上司が、私の髪を覆うよう勧めてくるようになりました。私はそのことについて真剣に検討しなければならなくなりました。私は間違った理由でそれをしたくはありませんでした。私はそうする心の準備が整い、そうすることを決して止めたくなくなるようになるまで待っていたのです。その後上司が休暇を取り、プレッシャーは一旦なくなりましたが、私はまだそのことについて四六時中考えていました。私はヒジャーブを着けることとその理由について友人と常に議論していましたが、依然として納得出来ていませんでした。

ある週末、私がコンパウンドの友人の家にいるとき、新入りの女性たちが来て会話をする機会がありました。彼女らは素敵な人柄であったため友達になりたいと思いましたが、「ああ、新入りの子たちが来始めたのか。どんどん状況は厳しくなって来てるわね。ひょっとすれば、もし彼女らが最初から私がヒジャーブを着けているのを見れば、それをそのまま受け入れて何も疑問に思わないかも知れないわ」こうして翌日から、私はヒジャーブを着けることを決心しました。以下は私の日記からの抜粋です。

「私は明日から頭を覆うことにしたわ。私の半分はそれが正しいタイミングだと感じているものの、残りの半分はそんなこと絶対にダメだって叫んでいる。私はその半分を無視することにした。何をすべきかを知ることはとても難しいわ。もしそれを翌日か翌週になって毛嫌いするようになったらどうしよう。そうなれば、皆からの尊敬心を失うことなくして後戻りすることなんて出来ないわ。私はいつになれば100%確信するのだろう。私はいつになれば今の状態よりも確信出来るようになるのだろう。私は思い切ってやってみなければならない。神がそれをお望みなら、なんとかなるということを信じなければならない。

私はパニック状態になっている。助けて! 私は本当にこの宗教を信じているの? 私は本当にこのような人生を歩みたいの? 私は毎晩、毎週末ひとりぼっちで過ごしたいの? 助けて!神よ、なぜこんなに困難なの? どうして私はこんなに意気地なしなの? 29歳にもなって、5歳のように振舞っている私。今ここで全く決断を下すことすらままならないのに、私は過去にどうやって色んなことを決断したのかしら。私は善良な人間ですらなく、良い人であるかのように振舞うだけで本当に苦労するのよ。今この瞬間、私はこの国を脱出してディスコに行って踊り狂い、お酒を飲み、叫び声を上げつつ歌い出したい気持ちよ。私は残りの人生で飲酒はおろか男友達を持つことも出来ず、頭を隠さない限りは外出も出来ないという事実に直面出来るだろうか。もしも今ここにケイトがいたら、彼女に電話してマルガリータを作ってもらうわ。でも彼女はいないのよ! どうやら今晩、悪魔たちは残業して私に働きかけているようね。人々は私のことを思慮深い人物だと思っているというのに。本当に笑わせるわ。

私は決めたわ。やってやる。やらなきゃならない。最低でも私は自分の愚かさに気付くか、あるいはもしかすると正しい選択をしたこと、正しい道にあるということを実感するかも知れないわ。インシャーアッラー(神の御意であるならば)。」

その夜は一時も眠ることは出来ませんでした。最後の瞬間まで、私は勇気を出すことなんて出来ないと思い込んでいました。しかし、扉から出る直前、私はそれを着けたのです。後戻りはしませんでした。

すべての疑念は振り払われました。あたかもシャイターンが私から去っていったかのようでした。私は誇りに思いました。私は自分が巨人になったかのように闊歩していました。皆が自分のことをムスリムであることを知ってほしいと思えてきました。私はムスリムであることに誇りを持てたのです。私は正しい選択をしたこと、そしてそれに決して後悔することはないと確信しました。スブハーナッラー(神に讃えあれ)、神はそれを容易なこととされたのです。



脚注:

訳者注:ムスリムが物事の選択に悩んだ際、神のお導きを求めて祈る「イスティハーラ」の礼拝のこと。

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リンダ・フィッツジェラルド アイルランド出身の元カトリック信者(4/4)

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説明: ようやくイスラームを受け入れたリンダは、それに至るまでの苦悩と内的葛藤について語ります。

  • より リンダ・フィッツジェラルド
  • 掲載日時 19 May 2014
  • 編集日時 18 May 2014
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改宗

2週間後、私はダアワ・センターを訪れていました。私は酷く怯えていて、自分が何か間違ったことを言ってしまわないか怖れていました。友人のハーリドと彼の妻が私を連れてきたのです。とても感情的になった一日でした。最後には、私たち皆が目に涙を浮かべていました。私は帰途の車の中でずっと泣き続けました。

依然として、物事は思ったとおりには行きませんでした。ライフスタイルの変更に伴い、私は完全なテレビ中毒者になってしまっていました。私の人生は礼拝、そして夜のテレビを中心に回っていたのです。私はそのことに満足していませんでしたが、それを変えるには怠けきっていました。イスラームの本を読もうともしましたが、何も受けつけなくなってしまっていました。私に関する噂話が病院内を駆け巡っており、それが私自身に戻ってきていました。私は自分の人生が他人の好奇心の対象となること、また陰口や噂話の矛先になることが大嫌いだったため、そのことは私を非常に動揺させました。ある晩、職場から帰宅した私は、もうそれ以上耐えることが出来ないと感じていました。帰宅したらテレビを見ながら夜を過ごし、誰とも会わず話もしないことはとても嫌でしたし、週末は悪夢のようでした。週末中誰とも会わないこともありました。私は喪失感と孤独感で一杯でした。イシャー礼拝の時間になりましたが、何もする気が起きませんでした。そんな気持ちになったのは初めてでしたし、そのことにとても困惑しました。私は2時間通して泣き続けました。

翌日、私の両目は腫れ上がっており、その日もたびたび泣いていました。ハーリドは何があったのか何度も尋ねましたが、私はとても恥じ入っていたため最初は何も言い出すことが出来ませんでした。ただ、礼拝は行わなければならないことを知っていたのでそれは欠かしませんでした。その後、彼と話が出来るようになると、彼は時には彼自身もそう感じていること、そしてそのことについて恥じ入ったり、惨めに感じたりすることはないと慰めてくれました。彼によると、私に必要なのはライフスタイルを変えることで、テニスやショッピングをしたり、読書をしたりすれば良いということでした。私には話すことの出来る相手、そして孤独感を感じないことが先決だったので、彼とはまだ口論していました。

その夜、帰宅した私は喪失感に苛まれ、もうこれ以上この状態を続けることは無理だと感じていました。礼拝後、額づいて必死にこう祈りました。「神さま、お願いです。私にあなたを見失わせないでください。お願いだから私にあなたを見失わせないでください。」私は起き上がって腰掛け、クルアーン後半の短い章句を開き、アッ=タカースル章を見つけ、読み始めました。それを読んだ後、私は未だに自分が愛着を感じているテレビを始め、人々が自分のことをどう捉えているか気にしたりすることなどをすべて止めてしまわなければならないと感じました。そうすることを学ばなければならないのです。すると自分の悩み事がすべて、あたかも背中からふわりと浮かび上がって離れていくような感覚がしました。

翌朝のファジュル礼拝で祈りを終えて祈願をしていると、私は両手を顔まで上げてそうしようという気持ちになりました。人々がそうしているのを見たことはありますが、それが何のためなのかは理解していませんでした。私は両手を上げて神に祈り、自分が過去の悪習慣を棄てることが出来るよう、そして努力してより良い人物になれるよう祈りました。それから両手を顔の位置まで上げると、ひりひりするような感覚と、ずっと感じたことのなかったような安心感を感じました。少しでも動くとその感覚がどこかに行ってしまうことを恐れましたが、それはどこかに行ったりはしませんでした。

その日、職場でコンピュータ部門のアンワールが私を訪ねてきました。私自身は彼とは一度も会ったことはありませんでしたが、彼は私のことを耳にしていました。彼は私にラージヒー・モスクで金曜日に英語のレクチャーがあることを教えてくれました。私は金曜日、そこに行くことに決めました。その週、私はテレビを全く点けず、テニスをし、信頼の置ける運転手にモスクへ連れていってくれるよう頼みました。

金曜の朝、私は非常に緊張し、最後の瞬間になって行きたくなくなってしまいました。もしも間違えたモスクに行ってしまったらどうしようだとか、不適切なことをしてしまったらどうしようという思いが頭をもたげていました。扉を出る直前、私は神に祈ってお導きと万事順調に行くよう頼みました。結果的にすべては順調に行きました。私はサウジに駐在するスリランカ出身のサミール一家――私の新しい家族――と出会うことができ、自宅に私を招待してくれた彼らは、まるで私が家族の一員かのようにふるまってくれました。神が彼らを祝福し、良き報奨をお与えになりますように。彼らとの出会いをお授けになった神に、私は毎日感謝しています。

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