モリー・カールソン 米国出身の元キリスト教徒(上)

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説明: 彼女の求めていたものは、既に彼女の中の大きな一部でした。それはイスラームだったのです。

  • より モリー・カールソン
  • 掲載日時 06 Apr 2015
  • 編集日時 06 Apr 2015
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それは非常によく覚えています。私の人生が変わったその瞬間です。「もしムスリムになったら」とはもう考えてはいないことに気付き、ある時期から「いつムスリムになろうか」と思い始めていました。それは既に選択肢ではなくなっていました。それは必然だったのです。

そう実感したときは、まるで冷水を浴びせられたかのようでした。それは、外出先で家に何かを忘れてきてしまったことに気付いたとき、ハッと息が止まってしまう瞬間のようでした。

その瞬間、私は自分がそうありたいと願っていたアメリカ人女性ではもうなくなっていること、そしてそれはもうずっと前から続いていたことに気付きました。雪の上に反射していた太陽、私の前に続いていた道路、そして自分がどこに向かって運転していたのかを一瞬忘れてしまったことを思い出しました。私は怖れており、それは明白かつ疑いようのない恐怖でした。

その実感と自己の転換は、十数年前から来るべきものでした。人々が――宗教が――私たちがムスリムなのは神の御意によるものだと言うとき、私はそれを疑いませんでした。しかし、確信はあったものの、当時はそれが具体的には何なのかまだ分かりませんでした。

ただ、私は自分がそうではないことは何かを知っていました。私はいかに多くのアベマリアの祈りを捧げても、十字架を身に付けても、あるいは母が連れて行った教会の集会礼拝に出席しても、カトリック教徒ではありませんでした。私を悩ませた疑問については勉強し、祈り、最終的な結論について探索しましたが、それと同時に心の中の私は苦しみに喘いでいました。

私の人生には連続的な出来事や逸話、個人的な記憶、そしてそれを見ている間は全く不可解だった夢などがありますが、今現在知っていることと照らし合わせると、それらは腑に落ちることばかりなのです。

私にとっての最初のイスラームとの出会いは、マーガライト・ヘンリー著の「名馬風の王」という本の形をとりました。それはモロッコ人少年と彼の子馬との童話です。私は幼い頃から熱烈な読書家でした。

それを読んでいた当時、自分が何歳だったかは思い出せませんが、少年がラマダーン月に断食していた場面は鮮明に覚えています。私はこれが、真の自己の覚醒であると個人的には思っていますが、その後数年間に渡りイスラームとの出会いがなかったことから、それは失われてしまっていました。

それを読んだときの年齢が8歳だったと仮定すれば、数年後の12歳の頃、私は全く意味のわからない連続的な夢に悩まされました。それらは怖い夢ではなく、どちらかと言えば私が心の中で憧憬していたことについての潜在意識の反映でした。

一番良く覚えているものとしては、一方向にカーペットの敷かれた完全に正方形な木質床材の部屋に立っているものです。そこには部屋を照らすための灯火がかけられていました。

私の左側には彫刻のされた木製の仕切りがあり、その後ろには別の部屋がありましたが、夢の中では女性が使っていた部屋ということは分かっていました。また、私が立っていた部屋は私のような女性が入ってはならない部屋だということも分かっていました。

私は男性部屋である、その禁じられた部屋に居ただけでなく、私の頭は覆われていませんでした。

12歳のキリスト教徒の女の子として、私は男女別の部屋という概念、そして頭を覆う概念というのは文字通り見たことも聞いたこともないものでした。しかしその夢の中では、何が間違っているか、そして何をすべきなのかが分かっていたものの、それがどうしてなのかは全然分かりませんでした。

その部屋に立つ私への慈悲深い神の愛情と心遣いを感じましたが、同時に私は創造主であるかれを失望させたと感じました。その部屋の彫刻を今でも書けるほどはっきり覚えているものの、その夢において最も鮮明だったものは恥じらいと悲しみの感情でした。私はそれらをとても良く覚えています。

私が古風のドレスを着ていたことも覚えています。夢の中でそこには入らなかったものの、女性用の部屋がどのように見えたかも覚えています。私がヒジャーブを着けることに強い意義を感じるのはこの夢のためだと思っています。私が神がその10年後、私が行うべきことの準備をさせてくれていたのだと感じています。

他にも、スンナの顎鬚を一瞬目にするという、当時全く意味を解せない夢を見たりもしました。その数十年後、おそらく私が改宗してから5ヶ月くらいが過ぎた頃、最後の夢が訪れたのです。それは予期せぬ光景だったため、夢とはあまり言えないものでした。

それは丁度、改宗について冗談を言っていたムスリムの知り合いとの電話を切ったときでした。私はイスラームに敬意を持ってはいたものの、それを信じてはおらず、その否定のために克己奮闘していました。私は自己の否定をとても恐れていました。しかし、神は異なることをお考えだったのです。

電話を切ってしばらく経ち、ベッドに横たわって目を閉じると瞬時に異なる次元に移動しました。私の前には頭から爪先まで黒装束で覆われた女性が立っており、顔はまるで忍者のマスクのようなものを着けていました。それは彼女の顔の下半分を覆うベールでしたが、上の部分とは鼻と両目の間を通る細い糸でつながっていました。

私は心を奪われると同時に、ひどく恐怖しました。私は近づいてよく見ようとしましたが、その瞬間、ベールの人物が私自身であり、あたかも自分自身を鏡で見ているかのように、私に対して「それ見たことか」といった眼差しを向けていたのです。

私は恐怖に後ずさりし、ベッドから飛び起き、持っていた受話器を投げ飛ばしてしまいました。私は怯え、衝撃を受け、私の中のごく小さな部分は、それがそれまでの日常の終わりであることを理解していました。そのとき、私は自分の未来の姿を垣間見たことに気付いたのです。

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