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ジョナサン・ビール 英国出身の元カトリック信者(下)

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説明: いかに彼が神に帰依し、イスラームを受け入れたかについて。

  • より ジョナサン・ビール
  • 掲載日時 25 May 2015
  • 編集日時 25 May 2015
  • プリント数: 10
  • 観覧数: 3725 (日平均: 3)
  • 評価: 5 から 5
  • 評価者 1
  • メール数: 0
  • コメント日時: 0

私は家族と連絡を取らなければなりませんでしたが、私にとって地元はちょっとした紛争地域のようなものでした。そのため、もしも彼らが私に会いたいのなら、私が行く代わりに彼らが私を訪れるようにしてもらいました。私は大学に通い始め、初等クラスを開始しました。他の生徒達は皆高校から入ってきた人ばかりだったので、私は彼らと比べると遅れていましたが、中等教育一般証明書を持っていたため入学することができました。働きながら勉強し、自炊や掃除などもしながら2年間の予備コースを3年かけて卒業することができました。他の学生たちはまだ両親と実家暮らしだったので、彼らと比べると私には多くの責任があったのですが、人生は良い方向に向かい始めていました。まだ習慣的ではなかったものの、教会にも通うようになりました。私の教会の牧師だったフライアー・ケビン師は、偉大な人物でとても尊敬してはいましたが、祈るときには神だけに祈り、イエスのことは頭にありませんでした。私はイエスに崇敬の念を抱いてはいたものの、彼が私の声を聞き届けたり、この地上にいるのだということを感じ取ることはできませんでした。

私はイスラームを憎悪し、他の知り合いの英国人たち同様、ムスリムたちを「敵」と見なしていました。それまでにムスリムたちと出会ったことはあり、彼らは親切でしたが、テロは悪であり、自国の軍隊は世界を救う英雄だと思っていました。

両親は私に数々の問題をもたらしましたが、私は彼らを赦しました。やがて父も人生を好転させるようになりました。彼は7年間に渡ってロンドンで路上生活をしていましたが、住宅をあてがわれ、麻薬も止めてきちんとした生活をするようになりました。彼が連れて行ってくれたモロッコ旅行で、ムスリムたちが信じられない程親切な人々であることが分かりました。私の人生そのものが方向性を変えました。私は即座にイスラームと恋に落ちたのです。

大半の人々は、私が洗脳を受けてムスリムにされたと思い込んでいますが、実際はその逆で、私自身が進んで質問を繰り返したのです。彼らは私をもてなしてくれた親切な人々に過ぎません。私は帰国後さらに関心を持ちました。私はキリスト教における神の概念を愛してはいましたが、その宗教について学ぼうという情熱を持ったことはありませんでした。

フライアー・ケビン師が説得力のある議論をしたように、私は妊娠中絶に反対していましたが、バイブルの物語を最後まで聞くことはできませんでした。時には、座り込んでバイブルを何時間も読み耽ることもありましたが、その文化的背景に関しては全く理解できませんでした。一方で、イスラームは完璧に見えました。イスラームによるアルコールの禁止は的を得ていますし、私の若い頃はそれを証明します。当時の厄介事は「ハラーム(イスラーム法において非合法なものごと)」が原因でした。

私の人生の初期に欠落していた「家族観」というものが、極めて強調されていました。イスラームにはすべての答えがあると感じました。それは本当に神の言葉に違いないと思いました。なぜなら、クルアーンが1400年以上も前に啓示されているにも関わらず、私の人生の問題に対する答えを提供するからです。

預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)についても沢山の読書をし、多大なる尊敬の念を抱くようになりました。私は彼を模範とした人生を送りたいと思いました。キリスト教の教えは、私の心を奪うことができませんでしたが、イスラームについては何から何まで魅力的でした。

アッラーの使徒たち(彼らに平安あれ)全員について学び始めると、キリスト教徒としては怠ってきた、バイブルにおける諸使徒の物語を読み直すようになりました。どうしてそれまではきちんと読めなかったのかと不思議でした。

地域のムスリムを探すと、見つけることができました。私にとっては彼らこそがムスリム世界との唯一の窓口だったため、彼らと会うことにしました。彼らは非常に親切でした。私は他の国々にも旅行しており、キプロスでイスラームに改宗してダーウードという名前をもらっていました。帰国後、イスラームに関する知識に飢えていた私はアラビア語の音訳表記付きの英訳クルアーンを入手しました。私はまず一日2回から礼拝し始めました。そこで唱える言葉を知らなかったため、礼拝の所作だけを行い、その後少しクルアーンを読みました。

私は毎日、少しずつクルアーンを覚えることにし、まずは開端章としても知られるアル=ファーティハ章から始めました。礼拝中に唱えている言葉の意味はきちんと知るべきだと感じたため、アラビア語の英訳も学んだところ、およそ1週間かけて覚えることができました。次にアル=イフラース章に取り掛かりました。

祝福された月、ラマダーンがやってきました。毎晩、タラーフィーフ(夜間礼拝)をし、同胞たちと一緒に断食を解きました。それらの食事は素晴らしいものでした。そこの同胞たちの大半は白人の改宗者たちで、他にもインド人、何人かのマレーシア人と、その他のムスリム諸国出身者がいました。

私は自分の宗教にすごく愛着を持つようになり、自分の働く店にアジア人の風貌の客が来たとき、彼らがムスリムであることを期待しつつ「アッサラーム・アライクム」と挨拶したものでした。

彼らがムスリムでなかった場合、悪い結果になったかもしれませんが、幸いそういったことはなく、あるときはサラームの挨拶をくれたバングラデシュ人女性と出会いました。翌日、彼女は家族と一緒に店に訪れ、断食を解くための食事をくれたり、彼らの自宅に招いてアラビア語や礼拝の方法を教えてくれたりもしました。

現在、私は大学の卒業が間近です。今もより良いムスリムになろうと頑張っています。私の住む地域にはあまりムスリムがいませんが、バングラデシュ人女性のおかげでクルアーン朗誦やアラビア語能力が飛躍的に向上し、将来的な進路の変更もしました。

神の御意であれば、ムスリムのコミュニティへ引っ越し、イスラーム学とアラビア語を勉強し、ムスリムの家庭を持ちたいと考えています。今まではIT(情報技術)の分野に行こうと思っていましたが、今ではイスラームが私の人生を支配しています。私は毎朝アッラーに仕えるために起き上がり、非合法な行いから自らを遠ざけ、預言者ムハンマドの模範に追従するための真摯な努力をし、自らの宗教について学びたいと思っています。

私はとても幸福です。友人や家族は改宗を当初とても驚いていましたが、次第に慣れて受け入れてくれるようになりました。私は誰かが自分の信条を卑下することを拒みます。なぜならアッラーを信じ、ムスリムの同胞と共にこの信条を実践することは私の人間としての権利だからです。

今後も多くの試練が待ち構えています。私は良いムスリム女性を見つけて結婚し、彼女そして家庭を扶養しなければなりません。ITの代わりにイスラーム学を学ぶものの、それは私がアッラーを信頼していることをかれに示す良い機会であると感じます。

まだまだ多くの学ぶべきことがあり、私の教師はまだ私がイスラームでは「赤ん坊」同然であると言いますが、神の御意であれば、私はイスラームにすべてを託したいと思っています。また、英国のムスリムが私を助けてくれたように、彼らにお返しとなるようなこともしたいと願っています。

イスラームが私に与えてくれた「借り」を返すことなど決してできません。なぜなら、私はそこから真の素晴らしいものを見つけ、それは私に多くのものを与えてくれました。最近のものとしては、9,000ポンドの借金を返済することができました。なぜならムスリムは利子を払ってはならないため、私はクレジットカードやローンをキャンセルしたからです。また、クルアーンによる非常に明白な教えの中には、神の道に立ち返ることで社会の問題は容易に解決するという驚くべきものもあります。

イスラームは私に与え続け、あらゆる善きものはアッラーからもたらされます。私は幼少の頃に与えられた試練についてアッラーに感謝しています。それにより、私はアッラーに近づくことができたからです。そして私が犯した罪の数々については本当に後悔しています。アッラーが私の弱さをお赦しになり、より良い人物にしてくれますように。

ボスニア、パレスチナ、ソマリア、アフガニスタンなどの世界中の苦しんでいる同胞たちをアッラーが祝福してくれますように。アッラーが彼らを慰め、受ける試練がなんであれ、それによって祝福されますように。読者の皆様、これを読んで頂きありがとうございました。あなたがたのために祈っています。

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