誠実なる者、アブー・バクル(3/3):庇護者

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説明: アブー・バクルは教友たちを守るため、的確な判断、自らの財産、そして影響力を用いることを惜しみませんでした。

  • より アーイシャ・ステイシー
  • 掲載日時 18 Feb 2013
  • 編集日時 18 Feb 2013
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Abu_Bakr__the_Truthful_(part_3_of_3)_-_Copy_001.jpgアブー・バクルは的確な判断力を有する人物でした。彼は、他者が複雑な状況下において混乱しているときも、真実を判別をすることが出来ました。それゆえ、彼にとってはイスラームの真実を理解することがとても簡単でしたが、ムハンマドの言葉がマッカ社会における不和をもたらすであろうことを認識していました。マッカの支配者層は、彼らの経済面、そして生活様式を危機に陥れるであろういかなるものをも容認することは出来ませんでした。アブー・バクルは困難の時がやって来ることを悟り、彼の教友である預言者ムハンマドを守ることが彼の任務であると感じるようになりました。二人は毎日顔を合わせ、イスラームを心の拠り所とし、友情を深めました。イスラームは三年間に渡って秘密裏に広められており、新ムスリムたちは信頼の出来る友人たちや家族のみの間でイスラームの教えを伝え合っていましたが、やがて神はその教えを公に広めるよう、預言者ムハンマドに命じます。

アブー・バクルは、多くの人々がイスラームを受け入れていることを支配者層が知れば、マッカでの生活が困難になることを知っていました。彼は預言者ムハンマドが庇護を必要とするようになることを感じ取っていましたが、既に彼は過去数カ月間に渡り、多くの新ムスリムたちの庇護者としての役割を果たすようになっていました。人々がどんどんイスラームへと改宗していくのが明らかになってくると、非ムスリムであるマッカ支配者層は新たな信仰を破壊するための迫害運動を開始しました。マッカの諸部族に属した男女や子供たちは、彼らの親戚による保護を得ることが出来ましたが、奴隷や貧者たちは特に大きな危機に直面していました。

イスラームの教えに一際惹かれていたのは、奴隷や困窮者たちでした。彼らは、平等、自由、そして唯一なる真実の神による慈悲といった言葉を耳にすると、彼らの晒されている暴力から脱出し、神の慈悲と愛情から安楽を得ることが出来ると感じたのです。彼らは、人類はみな神の奴隷であること、そして神は有力層だけでなく、全人に導きと保護を与えるということを学びました。アブー・バクルは裕福な商人だったため、何人もの奴隷をその主人から買取り、彼らを開放することによってその災難を和らげました。

アブー・バクルによって開放された奴隷の一人に、最初に信仰者たちを礼拝に呼びかけることになるビラールがいました。ビラールの主人は、灼熱の砂の上に彼を横たわらせ、大きな石板を彼の胸の上に据えて拷問しましたが、彼の新たな信仰を棄教させることが出来ませんでした。アブー・バクルがビラールの置かれた状況を聞きつけると、彼を解放するために彼のもとへと急ぎました。アブー・バクルは8人の奴隷を解放しました。マッカ社会において奴隷を買い取って解放するという行為自体は前例なきものというわけではありませんでしたが、それは慈善行為とは程遠い目的によってのものでした。奴隷は解放されると、解放した人物に対して敬意を示し保護を提供していたため、一般的にマッカの富裕層は肉体的に優れ、逞しい奴隷を解放していたのです。アブー・バクルは自分自身のためではなく、神のために奴隷を解放していました。

“その富を施し、自分を清める。また誰からも、慈悲の報酬を求めない。一生懸命に至高者、主の御顔を請うだけである。やがて、かれは(十分に)満足出来るであろう。”(クルアーン92:18−21)

教友たちの庇護

ある日、預言者ムハンマドがカアバ聖殿にいると、マッカ住民が彼を包囲してなじり始め、それはすぐさま身体的な虐待に発展しました。誰かがアブー・バクルに預言者が彼の助けを必要としていることを告げ、彼は直ちにカアバへ向い、争いの中心まで押し入って、預言者ムハンマドと攻撃者たちの間に割って入りました。彼はこう叫んだのです。「あなたがたは、アッラーが彼の主であると言う人物を殺そうというのか?2」マッカ住民はしばらくの間唖然としていましたが、すぐにアブー・バクルに飛び乗って無慈悲にも殴り続けました。それはあまりにも酷いもので、頭部の流血によって彼の髪の毛が凝固した程でした。

またある時には、マッカの支配層の一人が、礼拝中の預言者の首周りを布地で絞め始めました。人々には何が起こっているか見えていましたが、誰も預言者ムハンマドを助けようとはしませんでした。アブー・バクルがカアバにやって来たとき、彼の盟友の状況を目にした彼はすぐさま襲撃者を撃退したのです。

アリー・ブン・アビー・ターリブの伝える逸話は、アブー・バクルがいかに自らを犠牲にし、イスラームとその使徒である預言者ムハンマドに忠実であったかを如実に語るものです。預言者ムハンマドとアブー・バクルが逝去して多くの年月が経ち、アリーがムスリムたちの指導者だったとき、彼は聴衆への説法中、人々へこう尋ねました。「イスラームにおいて最も勇敢な男はだれだろうか?」聴衆はこう応えました。「あなたです!アミール・アル=ムウミニーン(信仰者の長)よ!」アリーには獰猛で勇敢な戦士という名声がありました。彼は自分の前に座る男を見てこう言いました。「私が敵に負けたことが一度もないのは確かだが、最も勇敢なのは私ではない。その名誉はアブー・バクルにこそ属するのだ。」

アリーはさらに、ムスリム国家として最初の戦争となったバドルの戦いにおいて 、ムスリムたちは預言者ムハンマドが最前線に立とうとするのを拒み、後部に彼のためのシェルターを造りました。誰が預言者を防衛するかという話になった際、前へ歩み出たのはアブー・バクルだけでした。預言者ムハンマドが、彼の小国が勝利するよう祈るため、しばらくシェルターの中に留まると、アブー・バクルは鞘から引き抜いた剣を構え、彼の教友へのいかなる危険をも見逃さぬよう、用心深く護衛していました。

戦いが本格化すると、預言者ムハンマドは中央部隊を率い、アブー・バクルは右側へと回りました。二人は苦楽を共にしたのはもちろん、あらゆる状況においても結束していたのです。アブー・バクルは、イスラームへの奉仕のために自らの財産と能力を犠牲にするのを厭わない模範的な人物だったのです。

称賛の言葉

アリー・ブン・アビー・ターリブはまた、アブー・バクルの葬儀における式辞を述べています。以下の引用は、預言者ムハンマドに最も近かった側近に対する称賛の言葉のごく一部です。

“あなたは他者が彼を見放した時、他者が援助を打ち切ったときにも、彼を助け、不幸な状況でも断固たる意思を示した。

“あなたの声は最も低かったが、名声は最も高かった。あなたの会話は最も模範的で、判断は最も的確であった。あなたの沈黙は最も長かったが、演説は最も雄弁であった。人々の中でも最も勇敢、かつ知識に優れ、行動には威厳があった。” 彼こそが、庇護者・アブー・バクルなのです。



Footnotes:

 サヒーフ・ブハーリー

2 サヒーフ・ブハーリー

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