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キャサリン・ブロック カナダ出身の元キリスト教徒(上)

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説明: 教養ある女性が、イスラームについて聞いたことと実際とのギャップ、そして神の存在について苦悶します。

  • より キャサリン・ブロック
  • 掲載日時 22 Jun 2015
  • 編集日時 13 Jul 2015
  • プリント数: 18
  • 観覧数: 3679 (日平均: 2)
  • 評価: まだ評価されていません
  • 評価者 0
  • メール数: 0
  • コメント日時: 0

私はこんなところで何をしているのでしょうか? 私は、礼拝中に額と鼻を床に押し付けながらそう思っていました。膝頭は痛むし、額への重みを和らげようとする両腕の筋肉も突っ張っていました。隣で礼拝している人の奇妙なつぶやきを耳にしました。それはアラビア語で、彼らはそれを理解しますが、私にはできません。そのため、ムスリムになって僅か12時間目の私は、神がそれを聞き届けてくれることを望みつつ、勝手なことをささやきました。「神さま、私がイスラームに改宗したのは私があなたを信じているからで、イスラームが理にかなったものだと思ったからです。」そのとき、自分が言ったことが信じられませんでした。涙が止まりませんでした。ひざまずき、床に鼻を押し付けている私のこんな姿を友人たちが目にしたらなんて言うでしょうか? 彼らは笑い飛ばすでしょう。彼らは、私の気は確かか聞いてくるはずです。「あなたは宗教的になったとでも言うの?」宗教的・・・過去に、私は思弁的な無神論者であることに満足していました。どうして私は信仰するムスリムになったのでしょうか? 私は自問していました。私は過去に思いを馳せ、自分がたどった道のりを思い出そうとしました。それは一体どう始まったのでしょうか? それは多分、実践的なムスリムに始めて出会った時からでしょう。あれは1991年、カナダのオンタリオ州、キングストン市のクイーンズ大学での出来事でした。

私は偏見のない、寛容的で、リベラルな24歳の女性でした。インターナショナル・センター付近を歩くムスリム女性を目にすると、可哀想に思えました。彼女らが抑圧の対象であるということを知っていたからです。彼女らになぜ髪の毛を覆い、夏場でも長袖を着、ムスリム諸国で悪い仕打ちにあっているのか尋ねたところ、「ベールをまとっているのは神がそう求めているから」と答えたため、彼女らへの哀れみの念は増すばかりでした。ムスリム諸国での仕打ちについてはどうなのか聞いたところ、それが彼らの文化だということでした。私はこうした女性に対しての邪悪な処遇について、彼女らが惑わされ、幼少の頃から社会的に洗脳されているのだと確信しました。しかし、私には彼女らがとても幸福そうで、友好的かつ堅実であるようにも見えました。次に、ムスリム男性をインターナショナル・センターで見かけました。

「テロリストの地」リビア出身の男もいました。彼を見た時は、「神の名のもとに」私に何かしてこないかと身震いしたものです。神の名のもとに、暴動の中ブッシュ大統領の写真を燃やすアラブ人たちの姿をとらえたテレビの映像を覚えています。大層な神を持ったものだ、と私は思っていました。神は我々弱い人間を擬人化したものに過ぎないということを確信していた私は、そんなものを信じれる人々がとても可哀想だとも思いました。しかし、彼らは非常に友好的なことに気付きました。彼らは人助けが大好きでした。彼らからは平静のオーラが見て取れました。一体どのような信仰を持っているのだろうかと思いました。しかしそれには困惑させられました。私はクルアーンを読んだことがあったものの、そこからは何も特別なものを見いだせていませんでした。それは湾岸戦争当時です。一体どのような神が、人々を戦争に駆り出し、他国の無実の市民を殺し、女性たちを暴行し、米国に対してデモをさせるのだろうかと疑問に思っていました。

彼らがその行いを代行していると主張させる、その神の聖なる書を読んでみるべきだと私は思いました。信頼できるペンギンクラシックス(ロンドンの出版社による教書)を読んでみると、あまりにも酷い内容で読み終えることができませんでした。そこには誠実な者のための処女たちのいる天国(誠実な女性は天国で処女たちとどうすればいいというのでしょうか)、そして数々の都市を破壊する神がいました。

女性が抑圧されているのも当然だなと思いました。これらの狂信者たちはあちこちで米国旗を燃やしているのです。ただ、そのことをムスリムたちに話すと、彼らは困惑します。彼らのクルアーンにはそのようなことは書かれていないというのです。私が読んだものは誤訳だらけだったのでしょうか?

突然、私と一緒に礼拝している人が立ち上がりました。私は彼女に追従しているので、一緒に立ち上がるものの、長いスカートを踏んづけてしまい転びそうになりました。涙を抑えようと鼻をすすりました。神への礼拝に集中しなければなりません。神よ、私がここにいるのは私があなたを信じているからで、キリスト教・ユダヤ教・イスラーム・ヒンズー教・シーク教・仏教の研究においてイスラームが最も理にかなっていたからです。

両手を両膝に置いて屈みこみ、お辞儀の姿勢になって、気を持ち直そうとしました。神よ、私を良きムスリムにしてください。「ムスリムですって? キャサリン、教養ある西洋の白人女性であるあなたが、女性を二等市民に格下げするような宗教に改宗するなんて一体どういうことなの!」

でも、キングストンのムスリムたちは友達になってくれたのです。彼らは質問することなく、コミュニティに温かく私を迎え入れてくれました。私は彼らが抑圧されたテロリストであることを忘れました。それが私の旅路の始まりだったと言えるでしょう。しかし、私はまだ無神論者でした。あるいはそう思い込んでいました。

私は星のきらめく夜空を眺め、宇宙について考察しました。ダイヤモンドのような星々は、暗い夜空をつらぬく神秘的なメッセージを私に送っているかのようでした。私は自分の存在よりも大きなものとつながったような気がしました。それは人間の集合的意識だったのでしょうか? 平穏と静寂が星々によって運ばれてきました。私はこうした感情をねじ曲げ、より大きな存在、より大きな意識などないと宣言すべきでしょうか?「神の存在について疑ってみたことはないの?」私は信仰するキリスト教やムスリムの友人たちにこう聞いたものです。彼らは「ない」とこたえました。ない?? それは私を困惑させました。

神の存在って、そんなにはっきりとしたものなの? なぜ私にはそれが分からないの? 私にとって、それは想像力の飛躍でした。どこか遥か遠くの存在が、私の生活に影響を与えているというのです。いかにして神は、何十億もの人々の祈りを聞き届け、人間の人生の毎秒を司るというのでしょうか? そんなことは不可能です。それはいわゆる「造物主」なのかもしれませんが、人に干渉するはずがありません。世界中で起き続ける不正についてはどうだというのでしょうか? 子供たちも戦争で殺されています。正義の神がそんなことを許すはずありません。神は理解不能でした。神が存在するはずなどないと思っていました。私たちは進化したのだから、造物主という概念も除外しなくてはなりません。

私たちは再び跪き、私は鼻をすすりながら、新しい緑色の礼拝用敷物の上で、自分の指を見ていました。この礼拝用敷物は私のお気に入りです。それは滑らかな肌触りで、緑の背景に紫のモスクが刺繍されています。そこにはモスクの黒い入り口へと続く道があり、私を招き寄せているかのようです。モスクの入り口には、ぼんやりではあるものの、確固たる真理があるかのようです。私はそこの入り口に招かれて幸福です。

私は幼い時に世界地図のジグソーパズルを持っていました。それは学部生の3年目か4年目の時にバラバラになってしまいました。キングストンで、私は一時は定期的に教会に通っていました。そこへ行くことは多少恥ずかしいことでもありました。宗教的な人々は感傷的だったり、風変わりだったり、古風で退屈な人々ばかりだったということもあります。しかし、当時は神の存在も自明のものと思えました。宇宙は全能である創造主なくしては全く意味をなしませんでした。

教会から帰る時は、身が軽くなり、幸福感がありました。そうした気持ちはもう失ってしまったと思えました。それは、今はもうなき神との関係を構築できていたからなのでしょうか? 実際には、それが旅路の始まりだったのかもしれません。私はその後も祈ろうとはしましたが、極めて困難になっていました。キリスト教徒は、主イエス・キリストを信じない者には破滅の運命が待ち受けていると主張します。しかし、イエスについて聞いたこともない人々や、他の宗教に従っている人々はどうなのでしょうか? また、キリスト教はイヴが罰を受けたことから、社会的には女性が劣った存在だと歴史的に主張してきました。女性は勉学、投票、土地の所有から阻まれてきました。神は長く白い髭をたくわえた、恐ろしい老人でした。彼とは話すことができませんでした。私はキリスト教についていけず、それゆえ神は存在しないことにしてしまいました。

しかし、私は神を信じるフェミニストや、フェミニストのキリスト教徒女性、またイスラームは私が信じていたような信条を持ってはいないことを主張するムスリム女性などと出会いました。私は祈り始め、自分自身を「キリスト教後のフェミニスト信仰者」と呼ぶことにしました。

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