イスラームにおける崇拝の精神(その2):礼拝と断食

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説明: イスラームにおける礼拝の精神と目的についてより詳しい説明と、断食の精神について。

  • より アブー"アル=アラー"マウドゥーディ(IslamRelgion.com編集)
  • 掲載日時 04 Jun 2012
  • 編集日時 04 Jun 2012
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The_Spirit_of_Worship_in_Islam_(part_2_of_3)_JP_001.jpg誰にも頼まれず、またそれを確認する人もいないのに、ムスリムが礼拝を守るのはなぜでしょう? それは、神が常に彼らの礼拝を見ているという意識からではないでしょうか? 彼らに、重要な仕事やその他の作業から去らせ、礼拝のためにモスクに向かわせるものは何でしょう? 彼らが温かい寝床を夜明け前に去り、午後の熱い日差しの中モスクへ向かい、仕事後の楽しい時間を抜けて礼拝堂に向かうのはなぜなのでしょう? それは義務感、つまり、彼らが主への責任を果たさなければいけないという意識以外の、何ものでもありません。なぜ彼らは、礼拝中に間違いを犯すことを怖れるのでしょう? それは彼らの心が神への畏怖で満たされ、彼らは、私たち全員が審判の日に神の前に立ち、私たちの人生について裁かれるということを知っているからです。

考えても見て下さい。礼拝をすること以上に、モラルと精神の訓練において優れたものがあるでしょうか? これこそが人を完全なムスリムにする訓練なのです。礼拝がムスリムに、神との契約を思い出させ、彼の信仰を新たにさせ、最後の審判の日への思いを保持させるのです。それによって預言者(彼の上に神の平安と祝福あれ)に従うことができ、彼に与えられた義務を果たす訓練を受けられるのです。

これは確かに、彼の習慣をその理想へと近づけるための厳しい訓練です。間違いなく、その人が彼の、主に対する責任を常に念頭においており、全ての世俗的な楽しみの上に彼の宗教を置き、礼拝でその気持ちを常に新たにしていくことができるなら、彼が、心から避けたいと願っている神の怒りは避けられるでしょう。彼は人生の全ての面において、礼拝に毎日忠実に従ったように、神の法を守りながら生きていくことができるでしょう。こういう人は、罪や虚偽を犯す危険にさらされたときも、神への畏怖からそれを避けるよう努力するので、他の活動分野でも信頼を置けます。もちろん、そのような訓練の後でも、間違いを犯すこともありますが、それは彼本人の内在的な欠陥なのです。

そして、ムスリムは、特に金曜礼拝のときは集団で礼拝をしなければなりません。これによりムスリム同士の愛情と理解が生まれ、団結力と同胞愛が育まれるのです。ムスリムたちは皆、集団で礼拝を行う事から同胞愛が芽生えると言っています。礼拝はまた平等さの象徴です。全てのムスリムが、貧富の差、身分の違い、教育、人種の違い関係なく一列に並び、彼らの主の前に額ずくのです。また礼拝は、自制心と選ばれたリーダーへの忠誠を教えます。つまり礼拝によって、これらの美徳を学び、個人として、そして団体の一員としての豊かな生活を発展させることができるのです。

以上は、無数にある礼拝の徳のごく一部です。これらの徳を得ようとしなければ、自分たちが敗者になるだけです。もしムスリムの中で礼拝をしない者を見つけたら、それには二つのことが考えられます。つまり彼らは礼拝を自分たちの義務と気付いているか、もしくは気付いていないかです。もし前者であるなら、彼らの信仰は偽善に満ちたものです。なぜならアッラーの命に背くということは、かれの権威を認めていないということになるからです。後者なら、かれの権威を認めていることにはなりますが、それでもなおその命に背くというのであれば、この地球上で最も信用できない人間の一人であるというだけのことです。世界で最も権威ある主に背く事ができるなら、他の人間に対して背くのは簡単でしょう。欺瞞が社会を覆うとき、全ては歪んでしまうでしょう。

断食

礼拝は一日に五回することになっていますが、ラマダーン(太陰暦の9月)は一年に一度の義務です。この一ヶ月間、日の出から日没まで、たとえどんなに美味しそうな食事が目の前に出されても、どんなに喉が渇いていようとも、ムスリムは一切の飲食を断ちます。なぜ彼らは自ら、このような辛そうなことをするのでしょう? それは、神と審判の日への信仰と畏怖から来るもの以外の何でもありません。この断食のときは常に、ムスリムはその情念と欲望を抑え、神の法の偉大さを体で表現するのです。この一ヶ月の断食を乗り切る義務感と忍耐は、ムスリムの信仰を強めます。この月の苦難と鍛錬が、生活の現状と向き合い、残りの一年を主の意思に仕えるものにするよう、彼らを鍛えるのです。

また別の視点から見てみると、断食は全てのムスリムに多大な影響を与えます。その社会的地位に関係なく、全てのムスリムは断食をしなければなりません。そのことで、全ての人々が平等であるということが強調され、そのために次第に同胞愛が生まれてくるのです。ラマダーンの間は、悪は潜み、善が表に出され、全体の雰囲気が信仰と純潔に満ちます。この決まりは、ムスリム自身のためになるものです。この規則を守らない者は、他の義務においても信用を置けません。しかし、ラマダーンの間に公の場で飲食する者もいます。この人たちはアッラーからの命令を全く意識しておらず、彼らの創造主であり、扶養者である御方に対して偽りを述べる者です。それだけではなく、彼らはイスラーム共同体の仲間ではなく、全く関係ない人たちだと自ら示しているのです。神から与えられた命令と信頼関係において、このような事ができるのは偽善者たちだけなのです。

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