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ラマダーン月の昼夜(パート1/2):日中の斎戒

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説明: ラマダーン月のムスリムの生活における、典型的な一日について。

  • より M. Abdulsalam (ゥ 2010 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 26 Apr 2010
  • 編集日時 28 May 2017
  • プリント数: 303
  • 観覧数: 7791 (日平均: 3)
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ラマダーン月(ヒジュラ暦9月)は、ムスリムにとって非常に特別な月です。その月には、世界中のムスリムが様々な崇拝行為を行いますが、その中でも最も重要なものが斎戒(いわゆる断食)なのです。ラマダーン月の斎戒は、イスラームの5本の柱の内の1本です。そしてそれは、その能力がある全ての青年及び成人に義務付けられています。またラマダーン月は、預言者ムハンマドに啓示が下った月でもあり、その理由から「クルアーンの月」とも呼ばれています。この月の間、人々の生活と社会は、顕著な変化を見ます。本稿はこの赦し深い月における、ムスリムの典型的な一日について紹介します。

斎戒前の食事

「夜明け前の食事をとるのだ。そこには祝福があるのだから。」(サヒーフ・アル=ブハーリー収録の伝承)

これは義務ではありませんが、預言者ムハンマドの教えの実践として、ムスリム家族はラマダーン月を通して朝の最初の光が出現する前の朝まだきに起床し、軽食をとります。通常ムスリムの一日は、空に最初の光が現れた時に行われる、夜明け前の礼拝から始まります。しかしラマダーン月においては、この時間が飲食を控えることによって斎戒を開始する時間であることから、預言者ムハンマド(神のご慈悲と祝福が彼の上にありますよう)はムスリムがその時間前に起床して、食事に参加するよう勧めたのです。

このことからも、斎戒の核心が一日中飢えを感じているということではないことが明らかでしょう。むしろ斎戒とは、そこにおいて神への崇拝行為がより組織立ったものとなるべく、生活スタイルを変えることなのです。5つの義務の礼拝で時間的に最も早く、それゆえ最も困難なものである夜明け前の礼拝をしばしば逃す者でさえ、この祝福に溢れた月には斎戒前の食事に加わるために、早く起きます。こうして最終的に、このような人は早い時間に起床することに慣れることとなり、ラマダーン月以外の時でも夜明け前の礼拝を行うことに供与することになるのです。

任意の礼拝の内、最も寵愛されるのが「キヤームッライリ[1]と呼ばれる深夜の礼拝です。この礼拝は通常、夜明け前の礼拝前に単独で行われます。またこれは、多くの人々がベッドで眠っている時間に敬虔な信者によって行われる、非常に愛されるべき礼拝であることから、「敬虔さの礼拝」と呼ばれたりもします。神はクルアーンの中で、この礼拝を次のように描写されています:

「彼らの脇腹は(夜)寝床に留まっていることはなく、(アッラーの懲罰を)恐れ、(そのご慈悲を)乞いつつ主に祈願し…」(クルアーン 3216)

また夜明け前の早い時間、斎戒前の食事をとるために起きていることも、この祝福に溢れた礼拝の遂行へと促します。このような機会がなければ、深夜の礼拝はある種の人にとって困難なことに思われるでしょう。

この夜明け前の食事は、夜明け前すぐの時間に摂取されることになっています。こうして人々は、ムアッズィン(礼拝へと呼びかける者)が地元のモスクから、最初の光の痕跡の出現を知らせるアザーンでもって呼びかけるのを聞くまで、食事を続けるのです。そしてムスリムは食事を終えると、地元のモスクの集団礼拝に参加すべく準備します。集団礼拝は、一年を通して毎日5回行われます。

クルアーンの月

多くのムスリムは夜明け前の礼拝に参加した後、しばらくモスクに留まり、この時間をクルアーンの決められた量を朗誦することに費やします。クルアーンの朗誦はいついかなる時でも推奨されており、またそれによってイスラームの信仰心は増加するのです:

「信仰者とは、神が言及されればその心が畏怖の念に襲われ、そして(クルアーンの)節が唱えられればその信仰心が増し、またその主に自らの身を完全に委ねる者たちのことである。」(クルアーン 8:2

ラマダーン月はクルアーンが啓示された月でもあることから、ムスリムはこの月において全クルアーンの朗誦を熱望します。預言者ムハンマドも、ラマダーン月にはそうしたものでした:

「預言者はラマダーン月には、毎晩天使ガブリエルに会い、互いにクルアーンを朗誦し合ったものでした。」(サヒーフ・アル=ブハーリー収録の伝承)

まだしばしば、イスラーム世界のラマダーン月には、ほとんど一日中モスクが空っぽになることがないことをお気づきになるでしょう。ムスリムはこの月の間、クルアーンを完読し、その意味を熟慮するために時間を作ろうと努力します。

日中の斎戒

多くのイスラーム国では、ラマダーン月の特殊な性格に便宜を図る意味で、仕事量とスケジュールが軽減されます。子供たちは早起きと夜遅くの礼拝に合わせて普段より遅く登校し、大多数の企業は夕暮れ前に閉まります。また多くの店は、夜通し開店しています。

太陽が地平線の下に沈むまでの日照時間帯に、ムスリムは配偶者との性行為やあらゆる種類の飲食物の摂取を慎みます。このように通常は完全に合法であるものを放棄することは、神の命令に従っているという感覚をムスリムの内面に引き起こします。またこのことは、彼らが常日頃から非合法な物事を放棄することへと促す分別をも養ってくれます。ムスリムは水分不足から口を乾かせ、日中に目にするあらゆる種類の食べ物を回避することで、神を意識するという第六感を獲得するのです。そしてこれこそが、ラマダーン月の斎戒の目的なのです。クルアーンは、こう言います:

「信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にも斎戒が課せられた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであろう。」(クルアーン 2:183

斎戒は、人が神へと捧げる内なる崇拝行為です。誰にも知られることなくこっそりと飲食することはもちろん可能ですが、そうすることをさせないことこそが、ムスリムによる主への意識なのです。

こういった理由から、多くの罪深いムスリムがこの祝福に溢れた月の間、その神聖さゆえに自らの罪を放棄するのを目にすることでしょう。そしてムスリムはこのことが、彼らが一年の他の月においてももっと信心深くなることのきっかけとなることを、望んでいるのです。

尚預言者ムハンマドは、斎戒の目的を台無しにしてしまうある種の罪に陥ることに関し、ムスリムに警告しています。彼はこう言いました:

「神は、虚言やそれに基づいた行いを改めない者が飲食を放棄することなど、望んではおられないのだ。」(サヒーフ・アル=ブハーリー収録の伝承)

同様に彼は、斎戒中の者が怒りに任せて無作法な振る舞いをすることに対しても、警告しています。ムスリムは怒りを挑発する者に対し、こう返答することを勧められています:

「私は斎戒中です。私は斎戒中です。」(サヒーフ・アル=ブハーリー収録の伝承)

これらの預言者の言葉は、ラマダーンの主な利益が精神的・道徳的な廉直さであることを如実に示していると言えるでしょう。

このように、ムスリム社会においてはラマダーン月の間、全ての邪さと悪い作法を回避し、より多くの崇拝行為を行うことによって、平和の精神がムスリムの心に宿ることがお分かりでしょう。またラマダーン月においては、一般的に人々がより付き合いやすく、気楽であると感じることでしょう。そして一ヶ月間、人々の多くが斎戒をする社会に住んでみれば、そこに生じる団結と同胞愛の精神は、他のいかなる出来事‐ハッジ(大巡礼)はその限りではないでしょうが‐にも比肩しないほどのものとなるのです。

イフタール(斎戒明けの食事)

一日の終わりが近づくと、ムスリムは各家庭ごとに集って日没を待ちます。男性は通常この時間帯に仕事から戻り、快適な服に素早く着替え、クルアーンを読んだり斎戒明けの食事の準備を手伝ったりし、一方母と娘は斎戒明けの食事と夕食の準備に追われます。そして日没前には、家族は食卓を囲み、ムアッズィンの声を待ちます。そしてこの時間を、神への祈願とそのご慈悲の嘆願に活用するのです。

「実に斎戒をする者には、それを解く時に受け入れられる祈りがある。」(トゥフファト・アル=ムフタージュ収録の伝承)

そして日没の礼拝へと呼びかけるアザーンが聞こえるや否や、ムスリムは競ってナツメヤシの実で斎戒を解きます。そして預言者ムハンマドから教示された言葉でもって、感謝の言葉を捧げるのです:

「渇きは癒され、血管は潤い満たされた。そして神のご意思と共に、報奨は確実なものとなった。」(アブー・ダーウード収録の伝承)

多くのムスリムは更に、以下のような言葉も付け加えます:

「神よ、私はあなたのみゆえに斎戒し、あなたのみを信じました。私はあなたのお恵みでもって斎戒を解きました。私はあなたにこそ、全てを委ねました。

その後ムスリムは、色々な前菜と飲物からなる軽食を摂ります。多くの場合ムスリムは招待されるか、または招待するかしますが、それは大家族のメンバーだったり、友人だったり、あるいは貧しい者であったりします。また多くのモスクでは、貧しい者の辛苦を労わるため、無料で食事が振る舞われます。またムスリムが少数の国で一般的に見られるように、モスクで斎戒明けの食事が提供されるのは、コミュニティの絆の強化を意図してのことである場合もあります。預言者ムハンマドは、この祝福に溢れた月に食事を施すことを奨励しました。彼はこう言っています: 

「斎戒する者がそれでもって斎戒を解くための食事を提供する者は、彼の報奨と同様のそれを得るであろう。」(アッ=ティルミズィー収録の伝承)

またこの月の初めには慈善組織によって、恵まれない者が一ヶ月間のニーズを満たすことが出来るよう、食料が配給されたりもします。

斎戒を解く時の喜びは、本当に筆舌に尽くし難いものです。たとえそれが最も質素な食事であっても、信仰者にとってそれ以上美味で、それほどの喜びをもたらしてくれるものはないでしょう。本当に、預言者ムハンマドの次の言葉は、真実を告げています:

「斎戒する者には、二つの喜びの時間がある:一つは斎戒を解く時、そしてもう一つはその主と拝謁する時のそれである。」(サヒーフ・アル=ブハーリー収録の伝承)

尚日没直後には義務の礼拝があることから、この時点では十分な食事をとる時間がありません。ムスリムは集団礼拝に参加する準備をし、大抵は徒歩で行ける距離にある場所へと向かいます。そして日没後の礼拝に参加した後、ある者たちは夕食を摂りますが、またある者たちは夜間の礼拝が終わるまで夕食を遅らせます。夜間の礼拝はラマダーン月の主な特質の一つであるイベントであり、また慈悲と祝福に溢れたこの月のもう一つの精神的次元でもあるのです。



Footnotes:

[1]               逐語的には「夜に立つこと」を意味しますが、それは礼拝中に起立しながらクルアーンを長く朗誦することによります。

 

 

ラマダーン月の昼夜(パート2/2):夜間の崇拝

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説明: ラマダーン月におけるムスリムの生活の、典型的な一夜について。

  • より M. Abdulsalam (© 2010 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 03 May 2010
  • 編集日時 03 May 2010
  • プリント数: 418
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日没礼拝の後、ムスリムは帰宅して軽食を続けるか、あるいは夕食を摂るかします。しかし多くの人は、余り食べ過ぎないようにします。というのもそれは、ラマダーン月における信仰者の喜びであるタラーウィーフの礼拝という崇拝行為の障害となり得るからです。この礼拝は、日没の最後の痕跡が消えた時に行われる夜の礼拝の直後、つまり日没礼拝の約一時間半後に開始されます。

タラウィーフの礼拝(深夜の合同礼拝)

タラーウィーフの礼拝は、集団で行われる特別礼拝です。そして非常に長く、一時間から一時間半ほど続きます。タラーウィーフの礼拝はラマダーン月に毎晩行なわれ、そこにおいて多くの礼拝先導者たちは、全クルアーンの朗誦を試みるのです。ムスリムは立ち、お辞儀し、跪きつつ、主に祈ります。そしてあたかもそれがその場で啓示されているかのような感覚を抱きながら、美しい声と共に朗誦されるその章句に耳を傾けつつ、全クルアーンを耳にする機会を得るのです。また、有名な朗誦家がいるモスクほど早く満杯になってしまうため、人々は自分の場所を確保するために予定時刻よりも早くモスクに到着するようにします。あるモスクなどは、様々な町からやって来る千人以上もの参加者で一杯になります。実にそれは、ムスリムが丸一年待望していたイベントなのです。またタラーウィーフの礼拝は次の預言者ムハンマドの言葉が示しているように、罪の赦しを意味します:

「ラマダーン月に神を信じ、その報奨を願いつつ夜の礼拝に立つ者は、それ以前に犯した全ての罪を赦されよう。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

崇拝者たちは礼拝で朗誦されるクルアーンに耳を澄まし、その意味を熟慮するようにします。イマーム(礼拝の先導者)の声は、人々に大きな感銘を与えます。神の祝福やご慈悲、そのご寵愛、また忍耐強い信仰者のために用意されている天国について言及するクルアーンの章句や、はたまた地獄の苦しみについて語る章句を耳にして、人々が嗚咽を漏らすのを目にすることは珍しいことではありません。クルアーンは各個人に向けて語りかける啓示なのであり、ゆえに人々はそれを耳にする時、神が自分に直接語りかけているという感覚を抱くのです。クルアーン朗誦を聞くことで湧き上がってくる感情は、本当に筆舌に尽くしがたく、何ものにも比べようのないものです。

タラーウィーフの礼拝の最後に、イマームと人々の集団は両手のひらをかざし、彼ら自身とムスリムのために神に祈ります。神に、罪の赦しや、信仰を実践するための力と堅固さ、天国や病人の治癒、既に亡き人々の罪の赦しなど、その他現世と来世に関わる諸々のよきことを祈るのです。また彼らは審判の日の懲罰からの救いと、その日の清算の安易さ、そして世界中の同胞の苦難が和らぐことなども祈願します。集団の大半が涙を流しつつ主に乞う光景を目にすることは、珍しいことではありません。タラーウィーフの礼拝はラマダーン月のハイライトの一つであり、ムスリムに感動と廉直さを与える重要な役割を果たしているのです。

そしてタラーウィーフの礼拝の後、人々は帰宅して夕食を摂ります。それから夜明け前の軽食に早起きするため、就寝するのです。

ご覧の通り、ラマダーン月には神へと捧げられる様々な種類の崇拝行為があります。ラマダーン月は、ムスリムがそこにおいてその生活習慣を神のご命令に調和したものへと変革するための、トレーニング期間のようなものです。朝起床して、日中を通し、夜に至るまで、ムスリムは様々な種類の崇拝行為を実践しています。そしてその内のあるものは義務的なものであり、またあるものは任意のものですが、いずれにしろ全ては主のお悦びを得るためのものなのです。この月はムスリムの人生における一つの重要な要素であり、再生の期間でもあります。信仰者はそこにおいて、神のお悦びに満たされ、そのお怒りを回避すべく、人生の新たな一年のために奮起するのです。

尚、ラマダーン月には他にもいくつかの特質があります。

最後の十日間

1.実にわれら(アッラーのこと)はそれ(クルアーン)をみいつの夜(ライラトル=カドゥル)に下した。

2.そしてみいつの夜とは何か?

3.みいつの夜とは、千の月にも優るもの。

4.(その夜)天使たちとガブリエルはその主のお許しと共に、(その年にアッラーがお定めになった)全ての諸事のため降臨する。

5.その夜は暁まで、(いかなることからも)平安なのである。(クルアーン 97:15)

クルアーンが天から地に下されたのは、このラマダーン月でした。そして詳細には、それはこの祝福された月の最後の十日間だったのです。預言者ムハンマドはこう言っています:

「みいつの夜を、最後の十日間に求めるのだ。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

上記の章句で言及されているように、その夜(みいつの夜)の崇拝行為や善行は千ヶ月間のそれよりも優れたものとなります。預言者がこの時期に、夜を明かして崇拝に励んだのはこういうわけなのです。

「ラマダーン月の最後の十日間に入ると預言者は俄然張り切り、夜通し努力し、また家人のことも起こしたものでした。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

ムスリムはラマダーン月に、報奨の増大を望みつつ、みいつの夜を模索します。タラーウィーフの礼拝からクルアーンの読誦、神への祈願や特別な任意の礼拝などでもって、一晩中崇拝行為に費やすのです。尚この(ラマダーン月最後の10日間の)期間の夜には、夜明け前の食事の時間までおよそ1時間半から2時間ほど続く、特別な集団礼拝がモスクで執り行われます。この時期の夜間は崇拝行為で活性化し、人々はみいつの夜を神への崇拝によって過ごそうと、この10日間の夜を崇拝行為に奮闘します。預言者ムハンマドは、以下のように述べました:

「神を信じ、その報奨を望みつつみいつの夜に礼拝する者は、それ以前の全ての罪を赦されよう。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

ラマダーン月は、赦しの月です。人々は、地獄から救われる者となることを望みます:

「(ラマダーン月、)神は地獄から救われる者を、お選びになる。そしてそれは毎晩のことなのだ。」(アッ=ティルミズィー収録の伝承)

こういった理由からラマダーン月に人々は断食し、礼拝し、至らなさを恩赦されて天国に入ることの出来るよう、みいつの夜を模索するのです。

ウムラ(マッカへの小巡礼)

預言者ムハンマドは、人々がラマダーン月にカアバ神殿を訪問し、小巡礼であるウムラを行なうことを励行しました。彼はこう言っています:

「ラマダーン月のウムラは、私と共に行うハッジ(大巡礼)に等しい。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

こうして、何百万もの人々は、小巡礼を行なうためにマッカへと集います。そして多くの人々はハッジの報奨を獲得し、かつ信仰者にとっての興奮すべき経験であるカアバ神殿での礼拝を望みつつ、月の最後の10日間にやって来ます。そこではあらゆる文化と人種からなる、世界中からやって来たムスリムたちと出会うことになります。そしてその全員が、創造主である主のご満悦を得るために日中は断食し、夜間には崇拝行為に耽りつつ、この神聖な聖域に集結するのです。

赦しの月

前述した、ラマダーン月の様々な種類の崇拝行為に関する預言者ムハンマドの多くの言葉は、その情け深さを意味しています。断食、タラーウィーフの礼拝、みいつの夜の礼拝など、全ては赦しを意味しているのです。

「神を信じ、その報奨を望みつつラマダーン月に断食する者は、それ以前の全ての罪を赦されよう。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

「神を信じ、その報奨を望みつつラマダーン月の夜に礼拝する者は、それ以前の全ての罪を赦されよう。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

「神を信じ、その報奨を望みつつみいつの夜に礼拝する者は、それ以前の全ての罪を赦されよう。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

ラマダーン月は一般的に言って、地獄からの救済の月なのです:

「(ラマダーン月、)神は地獄から救われる者を、お選びになる。そしてそれは毎晩のことなのだ。」(アッ=ティルミズィー収録の伝承)

慈善の月

前述したように、人々は断食を解くための食事を他人に施し、恵まれない家族にはラマダーン月を過ごすに十分な食料を寄付しようと望みます。更に、人々はラマダーン月にはより気前がよくなります。慈善行為は一つの崇拝行為と見なされ、神はその報奨をお与えになるからです。預言者ムハンマドの教友の一人、イブン・アッバースはこう言いました:

「預言者ほど気前のよいお方はいなかったが、彼はラマダーン月になるとより一層気前がよくなられたのだ。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

またラマダーン月の善行を増やすため、あるムスリムたちはザカー(義務の浄財)[1]  の支払いをこの月に行ないます。

個人的献身

イスラームには、一定期間モスクの中に留まって献身する、特別な種類の崇拝行為があります。その期間は一日間だったり、一週間だったりしますが、いずれにしろその間はクルアーンを朗誦したり、神を讃美したりすることに専念します。これもまた、人生を神への崇拝行為を中心としたものに習慣付けるための、一つのトレーニングなのです。人は自らを日常のルーチンから遮断し、神への崇拝に専念することで、人生に優先順位をつけ、現世での生活をより価値の低いものとすることを学びます。預言者ムハンマド(彼に神のご慈悲と祝福あれ)もまたラマダーン月最後の10日間に、イゥティカーフと呼ばれるこの種の崇拝行為を実践していたものでした。彼はモスクの片隅にテントを張り、そこに閉じこもって様々な種類の崇拝行為に勤しんでいたのです。

世界中のムスリムが、この崇拝行為を遂行しようとして、職場や学校を離れます。しかしそれは日常生活からのある種の断絶を伴うことの困難さゆえに、実行出来る者はごく限られています。それにも関わらず、集団礼拝の行なわれる大半のモスクでは、この崇拝行為に従事する人々を目にすることが出来ます。

結論

ご覧のように、ラマダーン月は世界中のムスリムにとって、非常に特別な期間です。それは罪深い者が神へと立ち返り、信仰者がその信仰心を新たなものとするための、崇拝の月なのです。またそれは人が自分の人生を神の命令に沿ったものとし、そこにおいて神のご満足を追求するための、トレーニング期間でもあります。またラマダーン月は人が創造主との関係を強化し、義務の崇拝行為に加えて任意のそれを遂行することへと自らを習慣づける時期でもあります。ラマダーン月は何にも代え難く、その期間のムスリムの感情は筆舌に尽くし難いものとなります。そしてこのような理由から、預言者ムハンマドの教友たちはラマダーン月が到来する半年前からその祝福を味わうことを祈り、そしてそれが過ぎた後の半年間には、神に対してそこにおける彼らの至らなさのお赦しを乞いました。私たちはこの祝福された月においてムスリムたちの斎戒と礼拝が受け入れられるよう、またムスリム以外の者たちもムスリムとしてラマダーン月の断食を行うことが出来るよう、切に導きを願います。



Footnotes:

[1]             (http://www.islamreligion.com/articles/46)参照のこと。

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