アフマディーヤ(下):応報

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説明: ミルザ・グラーム・アフマドによる冒涜行為の要約と、正統派ムスリムによるアフマディーヤへの姿勢を含む、アフマディーヤについての総括。

  • より アブドッラフマーン・ムラード
  • 掲載日時 24 Aug 2015
  • 編集日時 24 Aug 2015
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自称預言者による冒涜行為

Ahmadiyyah_(part_3_of_3)_001.jpg神によって遣わされたすべての使徒と預言者は、数々の奇跡によって援助されました。そのことを知っていたミルザは、彼の生前に実現されるという「予言」をでっち上げる必要がありました。そうすることにより、彼の預言者性を尤もらしくしようとしたのです。予言を行うにあたっては、人々に対する説得力が求められます。ミルザはこう記しています。「神は頻繁な降雨がもたらされると私に啓示した。その頻繁さから、多くの村は被害を被るであろう。その後、大規模な地震が続くであろう。」

彼の追従者たちの一部は、指導者が予言をしたことについて歓喜しました。しかし実際、それは予言としての基準を満たさないものでした。彼は降雨がどこでもたらされるかには言及していません。もちろん、論理的にそれは世界中のどこにおいても起き得ることです。

このような予言から、彼は期待した数の追従者たちを獲得することができず、神から啓示されていたとされる「予言」を的中させる必要性に迫られていました。それゆえ彼は1886年の2月20日、神は彼に祝福された女性たちを娶らせ、それらの女性から数多くの子どもが生まれることが啓示されたと宣言しました。その予言をした当時、彼は46歳でしたが、「ムハンマディー・ベグム」という名の女性との結婚宣言にも関わらず、誰一人として結婚できなかったのです。

ムハンマディー・ベグムは、追従者の一人だったアフマド・ベグの娘でした。ミルザ・グラーム・アフマドは彼女の父親に彼女を娶らせてくれるよう頼みましたが、父親はそれを拒みました。必死になったミルザは、彼女との結婚は神の定めであると宣言しました。彼は賄賂や多額の富をアフマド・ベグに申し込みましたが、それでも思惑通りには行きませんでした。その後、彼は彼女との結婚の許可をくれるよう懇願するようになりましたが、それも失敗に終わったとき、彼を脅迫するようになりました。アフマド・ベグは断固として折れず、娘を一般人の兵士と結婚させました。するとミルザはムハンマディーの夫はやがて死ぬのであり、その後彼女は自分と結婚するのだと宣言しました。それが実現するまでには3年かかると定めましたが、20年後にミルザ・グラーム・アフマドは死んだものの、兵士はその後40年に渡って生き続け、女性の方はさらに長寿だったのです。

予言の失敗の別の例としては、アブドッラー・アサムというキリスト教徒に関してのものがあります。1893年、その人物とミルザとの間にある議論が持ち上がり、双方ともに議論に勝つことはなかったものの、それによってミルザは非常に憤慨しました。1883年の6月5日、彼はアブドッラー・アサムが15ヶ月以内(1894年9月5日迄)に死ぬということを神に告げ知らされたと宣言しました。期限は過ぎたものの、アブドッラー・アサムはその後も長きに渡り生き続けました。

スンナ派ムスリムのアブドル=ハキーム博士がミルザ・グラーム・アフマドと言い合いになり、彼との公開議論を呼びかけ、その中で彼を嘘つき呼ばわりした際、ミルザは激怒しアブドル=ハキームは彼の生前に死ぬことを予言しました。1907年の5月4日、アブドル=ハキーム博士は同様に、ミルザ・グラーム・アフマドが彼の前に死ぬであろうと予言をし返しました。ミルザ・グラーム・アフマドはそれから約一年後の1908年5月26日に、68歳で亡くなりましたが、アブドル=ハキーム博士はその後も長年生きしたのです。

予言を2度外し、自ら偽預言者であることを証明してしまった彼は、「実に、われらは従順な男児をもたらす吉報を与える」と神に啓示されたことを宣言します。彼は男児の誕生が1907年の9月16日となることを宣言しますが、実現することはありせんでした。さらに1907年の10月、神によって「われはやがて誠実な男児をあなたに与えるであろう」という別の啓示を受けたとも主張し、その子をヤハヤと命名すると宣言しますが、その男児も生まれることはなく、彼による預言者の主張は全くの嘘であることをさらに証明してしまうのです。

カーディヤーニ派に対するムスリムの姿勢

アフマディー、またはミルザーイーとしても知られるカーディヤーニ派は、数千人ものムスリム学者たちによって、非ムスリムであると宣言されています。以下の文章は、イスラーム法評議会( Islamic Fiqh Council )によって発表されているものです。

ミルザ・グラーム・アフマドが預言者であり、啓示を受けたという主張は、彼自身と彼に合意する者を背教者とし、イスラームの範疇から逸脱させる。ラホール派(「イスラーム宣教のラホール・アフマディーヤ運動」)については、カーディヤーニ派の主流派であり、彼らにも同様に背教の裁定が当てはめられる。それは彼らがミルザについて「預言者ムハンマドの影であり、顕現である」と主張するからである

このことは、ヒジュラ暦1394年のラビーウル=アウワル月(1974年4月)14〜18日に、サウジアラビアのマッカで開催されたイスラーム世界連盟会議においても言及され、アフマディーヤ/カーディヤーニ派がムスリムでないということについて、会員が満場一致で結論に達しています。

結論

最後に、ミルザが名声を欲した嘘つきであったということは、疑いの余地なき事実であったことが結論付けられます。彼は、時には自分自身を見失ったかのようでもありました。彼はこういった詩をしたためています。「私はミミズである。人間ではない。私は人類の卑猥な部分であり、恥ずべき地位なのである。」(ブハヒーン・エ・カーディヤニズム5巻、ローハーニー・ハザーイン21巻127頁)

神はこう述べます。“アッラーについて、虚偽を作り上げる以上に、不義を行う者があろうか。また何も啓示を受けないのに「わたしに、啓示が下った。」と言う者。あるいは「わたしはアッラーが下されたのと、似たものを下せる。」と言う者(以上に不義者があろうか)。これらの不義の徒が、末期の痛苦の中で、天使たちが手を差し出して、「あなたがたの魂を渡せ。あなたがたはアッラーに就いて、真実ではないことを言ったりその印にたいして傲慢な態度をとってきたりしたことに、恥ずべき懲罰を載くのだ。」と言う時の姿をあなた(ムハンマド)に見せてやりたいものである。”(クルアーン6:93)



脚注:

Majma’ al-Fiqh al-Islami, p. 13

http://alhafeez.org/rashid/rabita.html

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